■南大泉(みなみおおいずみ)
旧小榑村(こぐれむら)の最南に位置する。東を井頭池(いがしらいけ、今の大泉井頭公園)から発する白子川で上土支田村と接していた。
江戸初期の小榑村は天領(幕府直轄領)であったが、元禄16年(1703年)村の半分が大名米津家に給された。この辺は米津領であったようだ。
日蓮宗の古刹(こさつ)妙福寺(南大泉5−6)は今から1千年以上も前の創建である。開創の時は天台宗であったが、鎌倉時代に日蓮宗に改宗し、この付近一帯の布教の中心となった。江戸幕府は妙福寺に21石余りの朱印地を与えた。将軍御朱印状の取り次ぎを領主米津伊勢守がした、と寺の古文書にある。
明治22年、小榑村と橋戸村が、さらに24年、上土支田村が合併したことは前にたびたびふれた。三か村が一緒になるから、新しい村名は、いろいろ意見があってまとまらない。最後に小泉村という案がでた。三つの村を平等に潤す白子川の源、井頭池からはいつも新鮮な泉が湧いている。
それと一番大きい小槫村の一字をとって小泉村としたらというのである。だが小泉はコイズミとも、オイズミとも読める、いっそ大泉村にということになった。今も白子川の支流(暗きょ)に小泉橋の名がある。
昭和7年、南大泉町となり、56年、住居表示が実施され現町名となった。
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