■関町北(せきまちきた)
江戸時代の官選地誌『新編武蔵風土記稿』に「豊島氏石神井ニ在城セシ頃関ヲ構へシ所ナリ今モ大関小関ノ小名アルハ其遺跡ナリ」とある。これが関村の地名の起こりらしい。また、石神井川の堰(せき)に由来するという説もある。堰は古来、井関とか、井口というから、村の開発者で、本立寺(関町北4−16)の開基である井口氏と地名の結びつきも考えられる。
関町北は旧関村のうち北を富士街道、南を青梅街道で区切り、西を保谷市(合併前の西東京市)に接する。明治22年、町村制施行で、石神井村大字関となり、昭和7年、板橋区誕生のとき石神井関町となった。のち、練馬区独立の際、石神井の冠称をとった。同53年、住居表示が実施され現町名となった。
明治7年(1874年)、区内で最初の公立学校の分校として創立した石神井西小学校は、同9年、独立の際、豊島郡の豊と、関村の関をとって豊関学校といった。同35年、現在の校名に改めた。
西武新宿線武蔵関駅は昭和2年開設。同じころ青梅街道との間20万坪(66万u)に土地改良・区画整理事業が行われ、住宅地として分譲された。そのため、駅の乗降口が最近まで南口だけだったので駅南側の発展が早かった。町には溜淵遺跡、天祖神社東遺跡、天祖神社(旧番神様)などの史跡がある。
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