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練馬の地名 今むかし(立野町)

ページ番号:982-611-932

更新日:2010年3月24日

立野町(たてのちょう)

 区の最南西にあって、南は武蔵野市吉祥寺に接する。江戸時代は上石神井村立野の飛地と、関 村関っ原という地であった。明治22年石神井村関甲須崎、昭和7年板橋区立野町となった。
 むかしは「たちの」又は「たつの」と呼んだ。後撰集藤原忠房の歌「秋霧の立野の駒を引く時は 心にのりて君ぞ恋しき」と詠(うた)われた武蔵国立野の馬牧にちなむ地名という(ほかに埼玉県や神奈川県の説も)。昭和59年6月住居表示が実施された。町の北、関町南(旧関町3、4丁目)との境に、区内を東西に貫流する千川上水の唯一の開きょ部が残っている。千川上水は元禄9年(1696年)に開発された。初めは江戸の飲料水、後に近郊農村の灌漑用水として、文字通り江戸市民の命の水であった。東京都は数年後のうちに、上水の堤を整備し、先人の遺した貴重な史跡として、清流を通して保存する計画だという。
 千川上水を東へ、青梅街道を渡り今の千川緑道のはずれに立野橋があった。立野の地名の起こりはこのあたりのようだ。

ねりま区報 昭和59年7月11日号 掲載

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