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練馬の地名 今むかし(高野台)

ページ番号:823-275-249

更新日:2010年3月24日

高野台(たかのだい)

 江戸時代からつづいた谷原(やわら)村は、昭和7年、板橋区になって谷原町1、2丁目に分かれた。1丁目は今の富士見台に、2丁目は昭和40年にまた二つに分かれて目白通り(放射7号線)の北側が谷原(やはら)、南が高野台となった。
 高野台は長命寺(高野台3-10)の山号による。長命寺は、慶長18年(1613年)、北條早雲の玄孫(=やしゃご)増島勘解由重明(出家して慶算阿闍梨<けいさんあじゃり>)が開いた。境内に紀州高野山を模した奥の院(東京都史跡)があるので、江戸時代から東高野山(ひがしこうやさん)と呼ばれている。本当のフルネームは、谷原(こくげん)山妙楽院長命寺という。
 お寺は音読のコウヤなのに、町名は訓読でタカノと読ませる。住居表示では、同一または類似の町名はできるだけつけないことになっている。その当時、足立区に高野町(こうやちょう)があったからだという。その高野町も昭和49年の住居表示で西新井となって、今はない。
 毎年4月21日は長命寺奥の院で、弘法大師御開帳法会が行われる。むかしは、前の年嫁入りした新妻が花嫁衣裳で参けいするので花嫁市の名があった。現在は花嫁の姿は見えないが、この日から3日間稚児行列や植木市でにぎわう。

ねりま区報 昭和60年4月11日号 掲載

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