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練馬の地名 今むかし(下石神井)

ページ番号:418-992-928

更新日:2010年3月24日

下石神井(しもしゃくじい)

 江戸時代以前の下石神井村は上石神井村と一つの郷であった。上下二つの村に分かれるのは、正保年間(1644~8年)に書かれた『武蔵田園簿(むさしでんえんぼ)』からである。そのころ幕府の命令で、大きな村は二つに分割された。上、下練馬村も同じである。
 明治維新で東京が首都となった。鉄道も東京へ向かって上りというようになった。それ以前は京都が中心だったので、京から江戸へは下りであった。品物も京からの「下(くだ)り物」は高級品で、江戸で出来る品は"くだらない"物であった。地名の付け方も京に近い方が上(かみ)、遠い方が下(しも)である。石神井や練馬でも西が上、東が下である。
 明治22年、町村制施行で石神井村大字下石神井となり、昭和7年、板橋区成立で下石神井1、2丁目となった。2丁目は石神井川より北、今の石神井町である。1丁目は昭和48年、旧南田中町の一部を合併して、住居表示が実施された。歴史的な地名、下石神井は健在である。
 天祖神社(下石神井6-1)境内、延宝2年(1674年)の庚申塔に「石神井郷神明村」と彫ってある。この辺を俗に神明村と呼んでいたらしい。天祖神社は昔、神明様といっていた。
 御嶽神社(同4-34)は明治から大正にかけて、区内で盛んだった御嶽信仰のたたずまいを残している。

ねりま区報 昭和60年4月21日号 掲載

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