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練馬の地名 今むかし(石神井台)

ページ番号:441-763-678

更新日:2010年3月17日

石神井台(しゃくじいだい)

 旧上石神井村のうち石神井川の北、小字で大門(だいもん)、沼部、西村、小関をいう。大門という地名は、城や大寺の門前を指し、区内には、ここのほか練馬と高松に残っている。
 3代将軍家光は、鷹狩りのたびによく三宝寺で休憩した(徳川実紀)。だから三宝寺の山門を御成門(おなりもん)と呼ぶ。地名の大門は、その御成門に由来する。
 石神井の語源となった石神様は、一説に三宝寺池から出現したともいう。歴史的文献に見える石神井については前にふれたが、石神信仰そのものはさらに古く、扇山遺跡(石神井台4丁目)や、天祖東遺跡(関町北3丁目)などから縄文時代の石棒が発見されている。
 大門の地名は中世石神井城の大手門に起こるという説もある。その石神井城(石神井台1丁目)落城の悲話に登場する照姫を葬ったと伝える姫塚(ひめづか)が、三宝寺池北側の台地上のある。かたわらに城主豊島泰経の殿塚(とのづか)もある。
 明治22年、上石神井村は下石神井、谷原、田中、上土支田、関の5か村と合併、大きな石神井村のうちの一つの大字となる。
 昭和7年、板橋区上石神井が誕生。石神井川の南を1丁目、北を2丁目とした。
 昭和45年、住居表示で、上石神井2丁目が石神井台となった。石神井川を南限とする広い台地だからである。

ねりま区報 昭和60年3月21日号 掲載

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