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練馬の地名 今むかし(光が丘)

ページ番号:834-352-605

更新日:2010年3月24日

光が丘(ひかりがおか)

 昭和18年、戦局は日ごとに激しさを増し、陸軍は首都防衛のため、飛行場の建設を急いでいた。白羽の矢は、ここ練馬の一角に当たった。土支田、田柄、高松3か町にまたがる広大な土地である。そこは、まだ町とは名ばかり、田柄たんぼや、練馬大根に謳われた静かで平和な農村であった。多くの農家が立ち退き、肥沃な田畑は成増飛行場と名前を変えた。
 東京は丸焼けとなって、戦争は終わった。飛行場は"つわもの共の夢の跡"となってしまった。
 昭和22年、練馬区が独立した。時を同じくして、飛行場跡に米軍宿舎が建設されることとなり、施設はグラントハイツと呼ばれた。明治12年(1879年)に来日したこともあるアメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍にちなんでの命名である。
 それから10年余、施設の内容はだんだん縮小され、遊休化していった。昭和35年ごろから土地返還運動が起こった。23区内に残された唯一最大の空閑地である。返還の展望が開けた44年、区域全体に「光が丘」の町名を住居表示した。緑と太陽のまち練馬を象徴して名付けられた。
 48年、区民一丸になっての運動がみのり、念願の全面返還が成った。グラントハイツ跡地計画には、住宅建設者から2万3千戸の建設が提案されたが、緑を多く確保するため、練馬区は1万2千戸を提案した。52年、練馬区案で合意され、平成4年に光が丘団地は完成した。
 日比谷公園の約4倍になる光が丘公園は、一部が56年末に開園した。58年3月、1~7丁目の住居表示が、全街区にわたって実施された。

ねりま区報 昭和60年2月11日 掲載

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