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練馬の地名 今むかし(大泉学園町)

ページ番号:180-617-138

更新日:2010年3月24日

大泉学園町(おおいずみがくえんちょう)

 区の西北端に位置し、町の面積は区内最大。古くは小榑(こぐれ)村といった。明治24年埼玉県から東京府に併合、大泉村となった。村役場は今の中島児童遊園(大泉学園町2-2)の所に置かれた(記念碑が建っている。大泉村の成り立ちは別のときにふれる)。
 大正震災直後、箱根土地という会社がここに一大学園都市を開発しようと計画した。碁盤目のように整備した土地は坪10円で売り出された。今では夢のような話である。昭和7年板橋区成立のとき大泉学園町と名付け、それまで東大泉駅といっていた駅名も今の名前に改めた。しかし大学誘致も、住宅開発も思うにまかせなかった。
 一方東京市は付近の山林を借りて開墾、今でいうレジャー農園を開設した(大泉公園のところ)。市民農園と呼ばれ一時は大いににぎわった。都民農園のバス停はその名残りで、駅前からの桜並木も、そのころ植えられた。
 昭和18年朝霞(旧キャンプ朝霞南地区)に陸軍士官学校が開校され、表門が東京側の大泉学園町にできた。戦後、米軍と自衛隊が使用、昭和48年に返還された。そこには現在、小・中・高校のほか各種の教育施設や公園ができ学園の名にふさわしい街づくりが整ってきた。町も急成長をとげている。

ねりま区報 昭和59年6月21日号 掲載

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