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練馬の地名 今むかし(西大泉)

ページ番号:858-931-816

更新日:2010年3月24日

西大泉(にしおおいずみ)

 旧新座郡小榑村の一部であった。江戸時代初めは幕府直轄領であったが、元禄16年(1703年)村高の半分730余石を武州久喜藩主米津(よねづ)出羽守に給せられ幕末まで及んだ。
 榑(くれ)は山出しの木材や薪(まき)のことで、地名はそうした作業を行った所と解する説が有力である。一方、クレは呉に通じ、帰化人に関係あるとする説もある。天平宝字2年(758年)新羅(しらぎ)の帰化僧らを武蔵国に移し新羅郡を置いた(続日本紀)。新羅郡はのちに新座郡となった。座はザともクラとも読み、今も隣接して新座市があり、和光市に新倉(にいくら)の地名がある。これに対して小榑は「ふるい(古)クレ」か、というのである。
 明治22年橋戸村と合併して榑橋村と称した。当時流行の合成地名である。今の杉並区でも井草と荻窪を合併して井荻村とした。両方とも地名はなくなったが、井荻は駅名に、榑橋は公園(大泉町5丁目)の名に生きている。
 榑橋村は明治24年東京府へ編入大泉村となり、昭和7年5町にわかれ、ここは西大泉町となった。56年住居表示が実施され(一部未施行)現町名となった。

ねりま区報 昭和59年9月21日号 掲載

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