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練馬の地名 今むかし(東大泉)

ページ番号:703-448-227

更新日:2010年3月24日

東大泉(ひがしおおいずみ)

 江戸時代は豊島郡に属し、土支田村上組といった。土支田村は大村であったので上下両組に分かれていた。明治初年、独立して上土支田村となった。
 明治22年、町村制で石神井村と合併、同村大字上土支田となった。同じとき、埼玉県新座郡に属していた小榑(こぐれ)村と橋戸村が合併して榑橋(くれはし)村となったことは前にたびたびふれた。
 そのころ、上土支田には妙延寺(東大泉3-16)に豊西小学校が、榑橋村には本照寺(西大泉3-11)に榑橋小学校があった。当時の学校費は村費全体の5割ないし8割にも当たっていた。両校の距離は1kmもない。もし両村が合併すれば、小学校は一つですみ、村の経費は大幅に節約できる、と考えた。
 陳情が実って、榑橋村は東京府に編入、上土支田と合併して大泉村が成立した。明治24年のことである。新しい大泉村は従来の2校を廃して、村の中央に新たに泉小学校を建てた。今の大泉小学校の前身である。
 昭和7年、板橋区成立のとき東大泉町となり、練馬区独立後も踏襲。昭和55年、住居表示が実施された。
 大正15年、武蔵野の野趣豊かなこの地に植物学者、牧野富太郎博士が居を移した。牧野記念庭園(東大泉6-34)には博士遺愛の草や木が四季折々の花を咲かせる。

ねりま区報 昭和59年12月21日 掲載

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