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田中村(たなかむら)

ページ番号:810-811-002

更新日:2010年3月26日

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田中村(たなかむら)

現在の南田中、三原台の一部

 日本の名字の8割は地名から生まれたという。ベスト3は鈴木さん、佐藤さん、田中さん。

 一方、全国の郡市町村名のうち1位は川のつく地名、2位は田のつく地名である。なかでも田中は大字以上の大地名で全国百数十か所、小字以下の小地名を含むと約3千と推定される。

 田中は日本の代表的な名字であり、地名であるといえる。田中の姓はすでに『古事記』に載っている。ここ田中村は室町時代の半ばには、集落を形成していたと思われる。

 『新編武蔵風土記稿』には田中村の小字を薬師堂、供養塚(くようづか)、塚越(つかごし)、上久保と記載している。

 薬師堂に「昔、堂アリシ所ト云」と注記がある。いま、観蔵院(南田中4-15)に通称日出薬師と呼ぶお堂がある。十二神将を配した薬師像がまつられる。この薬師様、以前は現在地よりもっと東方に在って、そこが地名の起こりとなった薬師堂の旧地であるという。『新編武蔵風土記稿』のできた文政年間には、すでに移っていた。

 十善戒寺(南田中5-19)付近を明治に入って本村と称した。田中村でも早く開けたところだからである。そこには昭和の初めまで福徳元年(1490年)という珍しい私年号の月待供養板碑(つきまちくよういたび)をまつる祠(ほこら)があった。江戸時代に供養塚といったのはこの辺りであろう。

 本村の東を塚越という。供養塚を越えたとところという意である。塚越の南を上久保という。

 享保・元文(18世紀初め)のころ谷原村の北に飛地で、田中村の新田が開墾された。今の三原台の一部である。

 明治22年、石神井村大字田中と呼ばれ、小字は新田分を含め13あった。新田に韮久保という地名がある。植物のニラか、当て字か明らかでない。

 昭和7年、板橋区成立で田中村は石神井南田中町に、新田は同北田中町と別々の町になった。三原台1丁目の稲荷神社を土地の人は「北田中の稲荷」という。住居表示で今は谷原5丁目となった「田中山憩いの森」も元は北田中であった。

明治6年頃の地名
明治6年頃の地名

ねりま区報 昭和60年12月21日号 掲載

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