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下練馬村(しもねりまむら)

ページ番号:765-301-890

更新日:2010年3月25日

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下練馬村(しもねりまむら)

現在の北町、錦、平和台、氷川台、早宮、羽沢、栄町、桜台、練馬

 江戸時代以前の記録には「ねりまの郷(ごう)」(米良(めら)文書)とか、「江戸 練間」(小田原衆所領役帳)とあって、上(かみ)・下(しも)の別はなかった。上下両村に分かれたのは、江戸時代になってからである。下練馬村には、ほかの村にあるような寛文・延宝ころの検地帳が現存しないので、当時の小字(こあざ)などははっきりしない。

 文政年間(1818~30年)、幕府が編さんした『新編武蔵風土記稿』にはつぎの小名(こな=小字)が記載されている。今神、湿化味、三軒在家(さんげんざいけ)、早淵、田柄、宮ケ谷戸、宿、本村の八つである。

 今神は新しい神という意味で、諏訪神社(氷川台2-3)の創建とかかわりがありそうである。

 湿化味には、シケミと振り仮名がある。石神井川沿いの低湿地を指す珍しい地名で、今も橋名にその名をとどめている。

 三軒在家は、戦国時代の終り、いずれからか3人の郷士が移り住んだ所と伝えられている。三軒は、市川・中村・島野の3氏であったという。のち、南北二つに分かれた。

 早淵と宮ケ谷戸の1字ずつをとって、現町名の早宮にしたことは現町名の部でふれた。

 練馬駅の北に栗山という地名がある。江戸の紀行文『嘉陵紀行』に、この辺りを「路傍栗なら多し、しばし落栗を拾ふ、興あり」と記している。栗の木の多い所であったようだ。

 明治初年、地租改正後の記録では、下練馬村の小字は64ある。今も橋の名に残る下宿、渡戸(旧田柄川)、糀谷、正久保、羽根木(石神井川)などは、当時一般に呼ばれていた地名である。

 昭和4年、村は関東大震災後の人口膨張によって、町制がしかれ、練馬町となった。同7年、北豊島郡に属していた町は、市郡合併で新しくできた板橋区に編入され、北町、仲町、南町の3町になった。同22年、練馬区が独立、その後の住居表示で仲町と南町の地名は消えた。しかし、その名は、今も小学校の校名として、地域の人々の心の中に生きている。

明治6年頃の地名
明治6年頃の地名

ねりま区報 昭和60年11月1日号 掲載

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