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下土支田村(しもどしだむら)

ページ番号:847-174-459

更新日:2010年3月26日

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下土支田村(しもどしだむら)

現在の旭町、土支田、光が丘の一部

 江戸時代、土支田村は一つの村であった。大きな村なので上(かみ)組と下(しも)組に分かれていた。明治6年(1873年)、大区小区制が布かれ、下組は下土支田村と呼ぶようになった。

 土支田の語源については、土師田、つまり、土師(はじ)器を作る人の職田があったとする説。また、支はキと読むべきで、神仏に供える斎田(ときた)があったと解する説。二つがあることは既に述べた。

 『新編武蔵風土記稿』は土支田村下組の小名を三丁目(さんじょうめ)、俵久保、八丁堀、土橋と記載する。

 図書に、壱丁目(埼玉県上尾市)、二丁目(同八潮市)、三丁免(同吹上町)などの地名があり、ここの三丁目も三町免の転であることが知れる。鎌倉時代、新たに補任された地頭の得分として与えられる免田(給田)のことである。現在の土支田3丁目付近は、偶然むかしの小字、三丁目である。

 土支田八幡を村の人は俵久保の天神社と呼んでいた。この辺りは白子川に沿って、早くから水田が拓(ひら)けた所である。田原(たはら)と言っていたのをいつか好字(こうじ)の俵(たわら)に当てたのであろう。久保は窪地をさす地形・地名である。

 八丁堀は前にふれたように八町の新墾地という意に違いない。堀は墾(はり)に通じ、新しく開墾されたところで、原と同義語である。特に8町(約8ha)の広さがあったわけではなく、縁起の良い八を用いたものである。そうした例は多い。

 土橋は土でおおった橋が架かっていたところ。天保9年(1838年)、『土支田村明細長』に「土橋壱ケ所、石橋四ケ所」と記すが、現在地は不明である。

 明治22年、上練馬村と合併、同村大字下土支田となる。このとき小字は九つあった。八丁堀の東に八町原(ばら)、庚塚(かのえづか)がある。現在、光が丘公園である。八丁原は八丁堀と同じ意味、庚塚はそこに庚申塚があった。

 昭和7年、板橋区練馬土支田町1、2丁目となる。区独立後、1丁目は旭町、2丁目は土支田町に。旭町は好字による命名という。

明治6年頃の地名
明治6年頃の地名

ねりま区報 昭和61年1月11日号 掲載

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