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関村(せきむら)、竹下新田(たけしたしんでん)

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  6. 関村(せきむら)、竹下新田(たけしたしんでん)

ページ番号:104-394-280

更新日:2010年3月26日

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関村(せきむら)、竹下新田(たけしたしんでん)

現在の関町北、関町南、関町東、立野町

 関村の由来は江戸時代からの諸書に、豊島氏が石神井に在城のころ、関所を設けたからとある。また、川の堰(せき)との説もある。天明4年(1784年)の村絵図は溜(ため)池(今の富士見池)の川下に大堤を図示しており、堰のある様子がうかがわれる。

 『新編武蔵風土記稿』は関村の小名を大関、小関、本村、三ツ家新田、関原、葛原、小額、札野、二ツ塚、鉄砲塚と記す。

 大関、小関(こせき)は石神井川の北側、関町北4丁目。大関は川上、小関は川下で、隣りの上石神井村の小字、小関と接する。

 本村(ほんむら)は関町東一帯。村で一番早く開けたところである。近くに三ツ家新田(みつやしんでん)がある。文字通り3軒が新家(しんや)に出て開墾した土地である。

 関原(せきっぱら)は今の立野町。関村の内でも新しく開かれたところで、上石神井村の飛び地、立野と交錯していた。

 葛原(くずはら)、小額(こびたい)は青梅街道の北に面した現在の関町北1~3丁目にあたる。葛原は植物のクズが繁茂していたのであろう。根からクズ粉を作る。コビタイは地形的に山の頂に近い正面をいう。本村から見て、台地を登った所にある。

 札野(ふだの)とは江戸時代に幕府御用のカヤなどを刈るために高札を立て、立ち入りを禁止した場所をいう。寛文9年(1669年)、関村の名主八郎右衛門は自ら開発請負人となり、それまで札野であった所を開拓した。関前新田(現在の武蔵野市)も、その一つである。

 

 二ツ塚(ふたつづか)は青梅街道の南側。関町南4丁目に不動塚と物見塚という二つの塚があった。不動塚には不動尊がまつられていた。物見塚は関の番所か見張所か。

 鉄砲塚のテッポウは真っすぐという意味である。街道に沿った街村式集落に鉄砲町・鉄砲宿などの地名がある。石神井西中学校の所にあって、南北に細長かったという。明治には三つ合わせて三ツ塚といった。延宝2年(1674年)、関村検地帳にも載る。

 竹下新田は、もと関村のうち幕府の御用林であった。天明4年(1784年)、竹下忠左衛門という浪士が願い出て開墾したので、その名が付いた。下竹(関町南1・2丁目)と、上竹(関町北3丁目)に分かれていた。

 『新編武蔵風土記稿』は竹下新田の小名を久保、千川付(せんかわつけ)、前野、淵崎と記す。下竹(しもたけ)のうち、久保は隣村上石神井の久保に接し、上竹(かみたけ)のうち、淵崎は富士見池の縁で高台の先端付近をいう。

明治6年頃の地名
明治6年頃の地名

ねりま区報 昭和61年2月21日号 掲載

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