上練馬村(かみねりまむら)
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ページ番号:804-424-522
更新日:2010年3月25日
上練馬村(かみねりまむら)
現在の田柄、光が丘(一部)、春日町、高松、向山、貫井
「ねりま」の地名語源に、いくつかの説があることは既に紹介した。古代宿駅の名に由来する乗瀦(のりぬま)説。土器の材料となる粘土をねった練場(ねりば)説。どろぼうが馬を盗んできては訓練したという馬調練説。石神井川が豊水期にあったころ、豊島園付近が広大な沼であったろうとする根沼(ねぬま)説。残念ながらどれも定説になっていない。
『新編武蔵風土記稿』は、上練馬村の小名を五つ、海老ケ谷(えびがやつ)、中ノ宮、高松、貫井、田柄と記す。これらの地名は、寛永16年(1639年)の上練馬村検地帳にも載っており、江戸期以前から言われていたに違いない。
戦国時代、豊島氏の没落後、練馬城(今の豊島園)は海老名左近という武将の居城になった。『新編武蔵風土記稿』は「海老ケ谷ト唱ル地ハ則チ左近ノ居跡ナリト云」と記している。しかし、地名の語源から、エビは、台地や丘陵が海老形にわん曲する所を指すことが多い。ここもこうした地形をしている。中ノ宮は、今もバス停にその名が残る。この辺りの中心となるお宮があっての地名だろうが、現在はその所在も明らかでない。
高松・貫井・田柄は現町名。旧小字がこのように、そろって残ったのは区内でもほかにない。高松の内に平松という地名がある。特に背の低い松があったわけでなく、普通の、という意味のヒラであろう。
貫井は弘法大師の湧水伝説をもつ地名だが、実は各地にある温(ぬく)井が語源らしい。
田柄は宝(たから)とも、田涸(たかれ)とも解されるが、区内難解地名の一つである。
明治初年、村内の小字は全部で56あった。同22年、町村制実施で下土支田村を合併した。
昭和7年、板橋区成立で向山町、春日町が新しくできた。
同18年、田柄、土支田、高松に成増飛行場が建設された。終戦後、飛行場跡はグラントハイツと呼ばれたが、同44年、住居表示で光が丘となった。
明治6年頃の地名
ねりま区報 昭和60年11月11日号 掲載


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