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橋戸村(はしどむら)

ページ番号:495-465-600

更新日:2010年3月26日

旧地名の部タイトルロゴ

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橋戸村(はしどむら)

現在の大泉町

 ハシトの語源は、橋の架かる処(と)とか、端(はし)の瀬戸とかが考えられる。橋戸の地名が初めて文献に見えるのは、慶長元年(1596年)服部半蔵宛て古文書である。以来、橋戸村は、隣の白子村(和光市)とともに伊賀組の領地となった。『新編武蔵風土記稿』橋戸村の項に、なぜか小名の記載がない。

 橋戸村は、明治24年まで、埼玉県新座郡に属していた。明治初年の『新座郡各村字届書』には広沢原、越後山、中里、中ノ前、八ケ谷戸、影山、打越、外山と記す。『武蔵国郡村誌』は、それに加えて北原、中耕、中丸、宮久保、愛宕下、谷、前田の記載がある。

 広沢は中世の郷名で、『小田原北条役帳』にも載る。この辺から和光市、朝霞市へかけての広野をいった。

 越後山は大泉町1、3丁目の丘陵部、隣の新倉(にいくら)村にも同じ地名がある。はじめ、越後の人が来て開拓した所という。今も越後山橋の名がある。

 中里は、むかし橋戸村が白子村と一村のころ、村の中央に位置していたからである。八坂神社の富士塚を中里富士という。

 中ノ前、中耕(なかごう)、中丸は中里の南につづく白子川左岸の耕地、前田は教学院前の田をいう。

 八ケ谷戸(はちがやと)はいまの大泉町2丁目、白子川右岸で、谷が多いところからそう呼ばれた。

 影山は小榑(こぐれ)村との境にあって、東に張り出した台地の影にあたっている。

 打越は、ある家が影山から越して来たので、はじめ家越とも内越とも書いたという。

 外山(とやま)は、村の南、上土支田村との境にあり、本村から隔たった岡のこと、戸山とも書く。トヤマは、鳥見山(とみやま)を2字化した地名との説もある。いま、外山橋がある。

 最近、旧橋戸村の歴史家、荘国太氏の遺稿『北大泉町略史』(昭和11年執筆)が発見された。小字名の由来が詳しく記されており、参考にさせていただいた。

明治6年頃の地名
明治6年頃の地名

ねりま区報 昭和61年3月1日号 掲載

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