練馬の学校給食の歴史
更新日:2011年4月1日
全国規模の歴史
| 昭和21年12月 | 敗戦により国土は荒廃し、失業者はあふれ、消費物資の決定的な不足、インフレーションの急激な進行等により、国民生活は極度に圧迫され、とりわけ、食料事情は極めて悪く、栄養失調状態が一般化している状況でした。 このような状況下、戦時中既に栄養不良に陥っていた学童達の健康を憂慮し、文部・厚生・農林各省連名の通達「学校給食実施の普及奨励について」が示される。 |
|---|---|
| 昭和21年12月24日 | 東京・神奈川・千葉の三都県の児童約25万人を対象として試験的に学校給食が開始された。 |
| 昭和22年1月 | 全国都市部の児童290万人に対し学校給食が開始された。 |
| 昭和23年6月末 | 給食実施児童数が500万人を突破(全国児童数の60%以上)。 |
| 昭和24年10月 | ユニセフ(国際連合児童救済緊急基金)が脱脂粉乳600トンを無償援助。25年10月まで続く。 |
| 昭和25年7月 | パン・ミルク(脱脂粉乳)・副食物からなる完全給食を八大都市の小学校で実施(東京は9月から)。 |
| 昭和27年4月 | 全国全ての小学校児童に拡大 |
| 昭和29年6月3日 | 学校給食法が制定される。31年・32年の改正により、給食実施対象を義務教育全域に拡大、貧困児童に対する給食費補助を中学校にまで拡大。 |
区内の動き
練馬区教育史第6巻 各校沿革誌より給食関係の記載を抜粋
開進第二小学校
- 昭和21年12月21日 調理室清掃 ララ物資受領、給食用意整備ス
- 昭和21年12月23日 第1回学校給食(ララ物資ニヨル)実施
開進第三小学校
- 昭和21年12月 連合軍の好意により学校給食が行われる
豊玉小学校
- 昭和22年1月20日 学校給食開始練馬第二小学校
- 昭和22年1月20日 児童給食開始 四商の校庭に調理室(二間、三間)を急設、調理人、川原 ちせ子
大泉第一小学校
- 昭和22年1月20日 学校給食開始
大泉第二小学校
- 昭和21年12月 学校給食開始
- 昭和22年1月 初代給食作業員として稲垣 マサ子氏就任
大泉第三小学校
- 昭和22年1月21日 給食開始
マッカーサー司令部の好意による配給物資として、紅鮭 にしん、乾燥鶏卵 粉ミルクの缶詰
役所より 代用醤油・海宝・燃料・薪・塩
父兄より 塩・薪・野菜・粉の一部
給食のねらい
イ、児童体位の向上
ロ、食生活の改善
毎月21日を定例身体検査日として行っているが、その結果、その目的は段々と達せられつつある。
都内最初の総合調理場が建設される
学校給食の制度的基盤の確立に伴い、その重要性に対する認識が高まった。その一方、
- 各校とも、学校給食施設の損耗が著しいため、全面的な増改築または整備の必要に迫られていた
- 昭和35年以降の急激な人口増加により、多くの調理室が狭隘となり、国の基準にも満たない状態になったなどの課題が生じた。昭和39年文部省が共同調理場方式の普及および奨励について積極的な援助を開始したため、全国的に共同調理場設立の気運が高まった。
1.学校給食第一総合調理場 ※平成22年3月31日廃止
- 昭和39年9月7日給食開始
- 当初、調理員64人、17校・13,847食を提供
- 最大、18校・17,880食を提供
2.学校給食第二総合調理場 ※平成23年3月31日廃止
- 昭和42年1月6日給食開始
- 当初、調理員57人、21校・14,908食を提供
- 最大、26校・19,898食を提供
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教育振興部 施設給食課 管理係
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