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石原元東京都知事記者会見を受けての緊急記者会見

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  4. 石原元東京都知事記者会見を受けての緊急記者会見

ページ番号:653-683-898

更新日:2017年3月8日

 築地市場の豊洲移転に関連して、3月3日(金曜)に、石原元東京都知事の記者会見が行われました。

 この中で、石原元都知事から、「豊洲移転については、当初、浜渦副知事(当時)に任せていた。浜渦副知事が退任した後は、前川知事本局長(現練馬区長)が担当していた。私は何も報告を受けていない。」といった、事実と異なる発言がありました。

 区では、同日18時から、前川区長が緊急の記者会見を開催し、当時の事実経過を説明いたしました。

 その後、3月7日(火曜)に、石原元都知事の事務所が、報道各社に対して、「3月3日の記者会見の内容を訂正・補足する文書」を送付しました。この中で、「当時、知事本局長であった前川練馬区長は、土地の売買契約時(平成23年)には都を退職しており、前川区長が担当であったという点は、誤りでした。」との訂正を行いました。

 このページでは3月3日(金曜)に開催した前川区長の記者会見の様子を動画でご紹介します。

<p>動画の概要 石原元東京都知事記者会見を受けての記者会見 </p>

日時

平成29年3月3日(金曜) 午後6時~午後6時50分

区長発言

 お集まりいただきまして真にありがとうございます。最初にお断りしておきます。先程まで予算特別委員会でした。今日、議員さんもいらっしゃっています。その最中だったので、こういう発言があったということを、メモをもらって、そういうことがあったということだけを教えてもらいました。私のほうでもまだ細かい分析とか、内容の把握はできておりません。とりあえず今日はこういう形で説明させていただきます。明日というか来週以降、必要があればまた会見をやります。どうかよろしくお願いいたします。
 それでは、お手元に配ってある資料のご説明をしたいと思います。この未定稿というのがあります。これは、正確かどうかはまだ分かりません。石原さんがしゃべった内容を、とりあえず今分かる範囲でまとめたものです。だから、場合によっては、ちょっと内容が違うかもしれません。そこはご承知置きいただきたいと思います。それで、まず、内容が違うと我々が思うところに、下線を引いてあります。それを説明します。その前に、お手元に配布した資料を説明します。最初にこの年譜を見ていただきます。石原さんのお話しは相当事実関係が混乱し、時間の前後関係も混乱しています。まずそれをお話しします。
 見ていただくと、豊洲について、築地の再整備から始まって書いてあります。ポイントは、平成13年7月。これは浜渦さんが交わしたもので、「豊洲に関する東京都と東京ガスとの基本合意」があります。これをもって、いわば東京ガスは東京都に用地を売ること、そしてまた、この場合の開発の大きなフレームを決めています。そして、その下にいきまして、平成14年7月。これは、私のことを先に言いますと、上の方を見てもらうと、私が、知事本局長だったのは平成14年7月から平成17年7月です。その間だけです。知事本局長になって、それまでの事務的な確認を踏まえて、基本的な合意を交わしています。これは居住人口とか全くのフレームです。それを確認したものです。そして平成17年5月。これは後で言いますが、この間大変な事件があったわけです。それを経て、「土壌汚染の処理に関する確認書」を交わしています。これは基本的には市場長と関係局長の話ですが、私もいわば立会人として判子を押しています。そのあと、平成17年7月に退職しています。その時に、浜渦さんも百条委員会の結果として、二カ月後に退職しています。

 そして、一番大事な、石原さんが混同している問題です。一番下を見ていただくと、平成23年3月です。これは「土壌汚染対策の費用負担に関する協定書」です。東京都と東京ガス。そこで瑕疵担保責任の放棄を決め、また、大きな全体の費用負担のフレームを決めたわけです。これが決められたのは、根本的な石原さんの思い違いですが、私が辞めた6年後です。そこをまず押えていただきたい。それを前提に、後でポイントなど説明します。この中の大事な平成13年の浜渦さんの合意から始まって、今お話しした一連の合意をお手元に資料として配布をしています。この資料の後ろから4枚目を見ていただくと、石原慎太郎さんと東京ガスの社長との協定書です。この中に第6条があります。「乙及び丙は、対象用地の土壌汚染にかかる費用負担をしないことを確認する。」これがいわゆる瑕疵担保責任の放棄。ここで石原さんは押印をして、自分の意志で決定をしているわけです。ここは大変重要なことなので、ぜひ押さえておいていただきたいと思います。それで今日の発言に入ります。
 未定稿というのを見てください。最初の間違いを言います。2ページ目を見てください。「具体的に判断した記憶はない」。これは違います。これは先程言った、制度の中で決まっています。「土壌汚染は2002年と2005年に協定を締結。」これは違います。先程言いましたように、2001年の浜渦さんがやった平成13年合意。それから私も押印した、基本合意の平成14年7月。それが、2002年です。2002年が最初のフレームを決めた、私が押印している書類です。小さな話しですけど間違いということです。
 2点目。次のページを見てください。「2001年7月に基本合意。その時に、ちょっと待てよとはならなかったのか。」それに対して、「知事本局長が裁可を願いますと言ったから、土壌汚染は大丈夫かと聞いたら、今の技術なら大丈夫です。」これは、大矢さんという方が市場長をやっていて、ご本人が話しています。知事に進言したのは自分だと、日本の技術ならば大丈夫ですということを。それが記憶に残っていて、大矢さんがそういう発言をしたのは2001年です。学会で発言しています。平成13年です。そこで今後の方向性を決めて、技術的にも大丈夫だということで。それを「知事本局長が裁可願います」なんていうのは、まったくの事実と反することです。

 3点目。その下に「ヤザワ委員長と話しをして、職員の歳費の20%をカットした。」これも全く事実と違います。これは石原さんが就任する前から、東京都は大変な財政難でした。それで、私が当時は人事部長をやっていたので、組合と話しをして、大変厳しい交渉をやって、職員の給与の4%カットを決めたんです。そして、知事についてもあわせてカットをお願いする。石原さんが就任する前に会いに行って、了承してもらいました。鮮やかに覚えているのは、石原さんが初登庁した日に部屋に行って、裁可をもらって、本人の給与減を決めたわけです。石原さんや浜渦さんがやったわけでも何でもありません。そして、その上で、浜渦さんが間違ったことを言っています。強く言えば嘘です。三セクへの就職について制限をして、定年を決めたとか、退職金をやめたとかいうことを、某テレビ局で言っているようです。全くの嘘で、これをやったのは私です。私が職員の給与カットと合わせて、三セクについての厳しい対応も決めたのです。それを、さも自分の手柄のようにおっしゃっている。これはいかがなものかと思います。
 4点目。「浜渦の後、前川さんにバトンタッチして実際の契約まで持っていった。」先程の年表を見ていただければ分かります。実際の契約は、私が辞めて6年後です。しかも私は浜渦さんと一緒に辞めているんです。意図的に違うことをおっしゃるようでしたら、私には理解のしようがありません。
 5点目。そのページの一番下。「東京ガスの執行役員に転出して評判になった。議会も問題がある。」私が退職して東京ガスに行ったのは、後でまたお話ししますけれども、別の事情があるのです。特に評判になったことは全くありません。誰一人問題としなかった。それを、あたかも問題になったかのように、後付けでおっしゃっている。これは違います。

 それから6点目。次のページを見ていただくと「知事本局長は決定権はないと言っているけど、そうなのか。」それについての答え、フジテレビさんがお聞きになったことへのアンサーの意味がよく分からないんです。「まとめて報告しているのは知事本局長。誰だったか覚えていない。」全く事実とは違います。知事本局長というのは、調整権の権能はあっても、決定権はありません。例えば、市場の土壌汚染処理について、決定権があるのは市場長と環境局長です。もし、私が、知事本局長が決定権まで、実際の調整の決定権まで持っていたら、知事以上のことをすることになってしまいます。それは、組織論としてはあり得ません。全部を統括で決めるのはあくまでも知事であり、それを補佐するのが副知事であり、また知事本局長です。これはイロハのイです。それが分かっていらっしゃらないと思います。
 7点目、次のページをめくって下さい。上から2番目の段落に「前川さんは、浜渦の後に交渉に携わったと思う。」なんのことでしょうか。私は浜渦さんの前に退職をしています。そこを、全くこの方は混同されています。
 8点目、6ページ。上のところがそうです。「それを担当していた浜渦君、その後任者に任せるしかない。知事の判子を押したのは、私ではなく、了としてくださいと説明を受けて。」混同しています。議案決定の原議の判子を押すのと、それから確認書類の書面を見て押印をするのは、また別の問題です。石原さんが判子を押しているのは、この23合意の東京ガスとの協定書です。それはご本人が押しています。それは物理的に誰かがそこで押したかもしれないけれども、そういうことではない。そこは後でまた説明してもらいますが、全く混乱されていると思います。
 9点目、7ページ。真ん中あたりにあります。「福永、浜渦、その後誰がフォローしたんですか。」これは私が退職した、というかさせられた後にフォローしたのは、山口カズヒサという都職員が知事本局長をやりました。その山口とそれから当時の市場長がいろんな形でこれを押したということです。

 それが大きな概略で、来週以降精密な分析をやった後必要だったらお話しはします。お手元にお配りした資料をまたもう一回見ていただきたいと思います。概略の事実の経過は今お話しをして、石原さんの発言で誤っていると思う点をご説明しました。
 次に2番目にあるのは、13合意から始まった一連の規定です。これは、この年表に沿って、並べてありますのでまたご覧をいただきたいと思います。
 そして3点目です。これは私がしつこく一部のマスコミで、「知事本局長は決定権を持っていたのに、利害関係があった東京ガスに再就職した」とか、あるいは、またそういう意味で「東京ガスに便宜を図って再就職した」と。とんでもない報道です。私は1年間ずっとこうして我慢して黙っていました。明確にしないといけないと思い申し上げます。これは東京都の総務局が、あるマスコミからの問い合わせに対して回答したものです。これを見ていただきますと、まず、質問1は行政上の権限があったんじゃないかという話です。それは明確に、日付けを見ていただければ分かるように、これは2016年9月20日です。小池さんが知事になった後ですから、当然小池さんも了承の上で出しているわけです。「確認書については、豊洲・晴海開発整備計画に基づき、市場移転を含む豊洲地区開発を進めるための具合的な方法等について、あくまで民間地権者と確認したに過ぎず『合意』や『確認書』の内容については、前述の各事業所管局、例えば市場長だったり、港湾局長だったり、あるいは環境局長だったりが、権限の範囲内で決定し、実行するものです。これに署名・押印があることをもって、前川氏が行政上の権限を行使したことになりません。」
 私は先程申し上げたとおり知事本局長というのは、あくまでいわば立会人で、何の権限もないわけです。調整機能を果たしただけであるということです。

 2点目、東京ガスに再就職したことは問題なんじゃないかということです。それについては、ここに明快に書いてあります。最初の点で、「幹部職員の再就職については社会の要請に答えるものでもあり、有意義なことと認識しています。一方で、都民の誤解を招くことがないよう、再就職する場合には、取扱基準に則り、適正に運用してきたところです。前川氏の再就職についても、当該基準に基づいて実施しており、職務権限外であり、問題ないと認識しています。」つまり再就職を決めるのは、辞める職員がやるわけではありません。当然ながら。例えば、私が辞めるときに「私はここに行きたい」そんなことを言ったら組織は成り立ちません。再就職を決めるのも実施するのも、ここに書いてあるように人事部です。正確に言えば、人事担当の副知事と総務局長と人事部です。従って当然ながら再就職についての取扱基準に違反することはありえないのです。それが2点目の説明です。

 3点目、この社会福祉総合学院、この資料を見てください。皆さんも疑問に思われると思うんですが、なぜ石原さんが、こんなに平気で事実に反することを言うのか。私から見ればデマです。この背景は、実は根深くて、当時の記者の方はみんな知っています。当時は別の百条委員会がありました。その百条委員会の資料がこれです。これは、右下のページでいうと、2枚目の裏を見てください。経過を重ねると、ちょうど私が辞める直前の時期と重なっています。実はこれが始まったのは、事実上、平成17年の正月過ぎです。この百条委員会は何をやったかというと、石原さんと浜渦さんが私を標的として、私が福祉局長時代に財産を不当処分したという、そういう、全くの事実に反する言いがかりです。それに対して、当時の東京都議会、自民党、公明党、共産党、生活者ネットの皆さんが団結して戦ってくれたのが百条委員会です。百条委員会をやって、私が全くそういうことはないということが証明されました。私が悪いことをしたと言った人たちがいました。それが浜渦さんであり、また櫻井という、当時の出納長です。彼に対して問責決議をして、その経過をまとめたものです。従って、私が辞めた平成17年の始めから平成17年の7月にかけては、私と石原さん、浜渦さんとはほとんど意思疎通はありません。つまり、建前で言えば、それまで上司と部下の関係でやってきました。その上司が私が悪いと言って、陥れようとしました。それに対して、それはそうじゃないということが証明されました。そういう戦いがずっとありました。私と彼らとの間で仕事を共同でやることはありえません。そこのところを是非、きちんと調べていただきたい。みんな事実関係として東京都が公文書を公開していますから、調べれば分かります。12年も経っていますから、みなさん理解が行き届かないのも無理はないと思います。それが問題の根源です。おそらく今でも浜渦さんはもちろん、私に対して悪感情を持っていらっしゃるんじゃないかと勝手に思っています。逆に当時一緒に戦っていただいた、自民党、公明党、共産党、ネットのみなさんには今でも感謝をしています。そのおかげで、私も変な処分もされないで、なんとか今まで生きてこられたのです。ただ大変な、今から見れば想像もできないほどの大変な事件であり、大変な闘争であったといっていいと思います。

 そういった大きな流れがずっとあり、そしてもっと言えば、もう一言いえば、そういう百条委員会の事件に至る経緯というのがありました。石原さんが東京都に来られたのは平成11年です。その時に、さんざんいろんな課題が山積していました。羽田の国際化、外かく環状、ばらまき福祉、それからPM2.5などの環境問題、東京一極集中への批判。そういった問題に対して、石原さんが出てこられて、一期目に大きく解決に向かって進んだのは事実です。私は、石原さんは、やっぱりそういう意味では大した知事だったと今でも思っています。自民党と一緒にやられて。ところが、それが途中から、みなさんご存知のとおり、ほとんど登庁されなくなりました。そこで浜渦さんが、当時の新聞での証言によると、それこそ、お手紙、詫び状の世界を作りました。知事に会うのは、浜渦さんを通さなくては会えない。そして、浜渦さんに会うには、今度は事前にお手紙を書かないと会えない、そういう世界を作りました。その真っ只中の時期に、百条委員会の事件がありました。結局、そういういろんな軋轢が二期目以降に高まってきて、最後、気が付いてみたら、こうやって私が狙い撃ちにされていた、そういう時代だったことをご理解いただきたいと思います。その中で、豊洲の合意が進められていたけれども、私はほんとに言い訳でもなんでもなくて、根本的なことは何もやっていないし、何も関与していません。これは再度明言しておきます。以上です。

質疑応答

【記者】フジテレビ「とくダネ」のアベと申します。よろしくお願いします。今のお話を聞きますと、石原元知事は前川区長が、非常に今回の豊洲市場の売買ですとか土壌汚染対策に関して関わっているというお話をされてきたんですが、全く内容ですとか交渉には関わっていないということでしょうか。
 
【区長】全く関わっていません。これを見ていただければ分かります。この年表です。浜渦さんがまず東京ガスに行って、平成13年の7月合意に至りました。ご本人が言っているじゃないですか。「福永さんが駄目だから、自分が行っていろんな根回しをした。護岸整備は東京都がやります」と約束して決められました。私は知りません。そもそも当時、私は福祉局長です。全く関係するわけがありません。
 
【記者】その土壌汚染対策について、前川さんがいる知事本局長室を、東京ガス側が訪ねて、そして土壌汚染対策について意見交換した記録もあるというような書かれ方をしていますが。
 
【区長】それは違います。訪ねてきたというのは、この平成16年の暮れです。百条委員会に入る直前でした。平成13年の合意があって、その後平成14年の合意があって、そのあとは事務的に淡々と話を進めていました。ところが、なかなか東京ガスと合意に至らない。一つは、人為的な要因もあって、豊洲開発社長の江口さんという方が、この方はもう亡くなりましたが、いろんな思惑もあって抵抗をして、少しでも東京ガスに有利な方に持っていこうとしていました。それを私が叱りました。「基本合意ができているんだから、もっと早くやってほしい。」と言っただけの話で、それ以上でもそれ以下でもありません。
 

【記者】経緯のことに関しては、ある程度のことは知っていると思うんですけど土壌汚染の費用に関して、いろいろ水面下で進んだ中で、東京ガス側が、瑕疵担保責任ですとか、免れるとかそういった話がその当時から出ていたということですか。
 
【区長】全く出ていません。事務的な部長課長レベルでもないです。だから、私が平成17年5月に押印した確認書には、それについては触れていません。当然ながら、確認書に書いていない土壌汚染処理に関する部分については、民法の瑕疵担保の責任がある前提で書いてあります。当然です。私も不思議で、なぜ瑕疵担保責任を免除したのですか、石原さんは。変じゃないですか。我々がそんなことをやるわけがありません。ましてその当時、私が関わっているわけがありません。その協定書を結んだのは、平成23年3月です。私が辞めた6年後です。私は知りません。
 
【記者】最後に一点、その土地の売買交渉の話ですとか土壌汚染対策に関して、どちらが負担をするとかの話は、誰が進めて誰に聞けば分かるのでしょうか。
 
【区長】それは浜渦さんです。本人が言っています。自慢げにテレビに出て「俺が話しをして、前の福永では進まないから、俺が行って話しをして護岸整備は東京都がやる」とか、「いろんな譲歩をして東京ガスの負担を軽くして、それでやっと合意させた」と本人が言っています。本人が自慢して回っています。いろんなところに。そこのところをぜひご理解いただきたいです。そこが根本です。それが私たちには良く分からないけれども、平成23年の瑕疵担保責任の放棄にも繋がったのではないのかと思います。それは私の推測です。浜渦さんは、私が石原さんたちに切られて、都を完全に辞めた後も実は残っているんです、役所に。副知事を辞めた後も、参与として残っています。当時知事は、私が辞めた後、何か問題があると、私がいる時もそうでしたが、都市開発とか、この港湾も、臨海開発もそうです。関係局があげると、これは浜渦が承知しているのかとか、浜渦に了承を取れとか平気でおっしゃっていたのです。そういう状況だったのです。今から見れば想像を絶する世界です。それはぜひ調べていただきたいです。私が嘘を言っているかどうかは、ちゃんと調べれば分かります。
 

【記者】東京新聞の柏崎と申します。二点確認なんですけれども、先ほど少し説明があったんですが、東京ガスへの再就職というのは、ご本人が決定したとかではなくて都庁の人事系の方から東京ガスということで決まったということでよろしいでしょうか。
 
【区長】いやそれはもう当たり前じゃないですか。辞める人が自分で再就職を決める。そういうことがないように、東京都がわざわざ取扱基準を決めて、そして、やっているわけです。山内さんも三枝さんについても、同じように人事部で決めたのです。
 
【副区長】いいですか、補足です。地方公務員の再就職は、当時は国と違って、在職中の職務に密接に関係するところに行くというのは制限がありました。当局が、局長以上、あるいは本庁部長以上の再就職先は、人事部が決定します。当時はそれが普通でした。地方公務員は国家公務員と違う縛りがありますので、そこは誤解がないように、よく調べてください。
 
【記者】分かりました。すいません、あと東京ガスに行かれてからは、あの、この豊洲の件についてなんらか関わるようなお仕事ってのはされていたんでしょうか。
 
【区長】それは東京ガスに確認してもらえば分かりますけれども、全くしていません。東京ガスはそういう会社ではありません。きわめて生真面目な会社です。この資料に書いてあります。「平成17年9月、東京ガスに就職」。それで、そこで「分散型エネルギーの普及」。私はエネルギー問題の眼を開かされたのは東京ガスに行ってからなんです。それまでは、ほとんど何も知りませんでした。むしろ東京電力の方が中心かと思っていました。当時はオール電化とか、電力会社が、特に東京電力を中心として、すべてを電力でやろうとする世界を作ろうとしていました。私は東京ガスに行って、その問題に目を開かされて、やっぱりこれは、自立分散型のエネルギーシステムが正しいんだということを確信しました。それで、その問題をいろいろ説明してまわりました。例えば、東京都は新宿の地下に地冷があります。熱供給です。東京都庁舎への電力供給を一本化したのもその結果です。そういったことをやっていました。だから一切関与していません。
 

【記者】読売新聞の大原です。えっと、今回のその石原知事の会見でですね、何度も前川区長のお名前が出ましたけれども、まあ、あの、すべて否定されたわけですけれども改めましてその石原元知事に対してこのようなご発言をされたことに対しては、今、区長としてどのようにお考えですか。
 
【区長】私は先程申し上げた通り、石原さんを全否定する気はないんです。それまでの鈴木都政と青島都政で、いろんな大懸案が進まなかった。それをやってくれたのは、やってくれたと言うのは変ですけど、事務当局が問題提起して一緒にやったんです。やってくれたのは石原さんだし、石原さんの発信力と戦略がなければ東京は大変なことになっていました。そういった意味では、今でも感謝をしています。しかし残念ながら、石原さんというのは、一つは興味がまったく長続きしない。行政に関心がない人ですから、政治にしか関心がない。それから、また理解しようともしない方です。そういう中で、東京都政への関心を早くに失われてしまいました。先程申し上げた通り、ほとんど登庁しなくなり、実際は浜渦さんに全部丸投げで、任せるような形になって、恐怖支配をやりました。そういう意味では、やっぱり、半々といいましょうか。半々より否定の否の方が多い。あまりいい感情は持っていません。
 
【記者】今回の発言を受けて、改めて石原元都知事への考えは。
 
【区長】今までは私の中の評価で、それを改めて確認した面が一つ。もう一つはちょっと気の毒です。全然記憶もないわけです。記憶がないのか、意図的におっしゃっていることなのか、誰かが入れ知恵しているのかもしれませんが、こうやって説明していて分かるような事実関係、特に時間の前後関係が全然違うことをおっしゃっています。ちょっとそういう気持ちを持ちました。
 

【記者】すいません、テレビ朝日報道ステーションの池田と申します。一点確認なんですが、瑕疵担保責任の放棄について、知事本局長という立場からそれはおかしいんじゃないかって提言したりってことはなかったのでしょうか?
 
【区長】先程、私が時間の前後関係を説明したばかりです。
 
【記者】すいません。何かその確認することはできなかったでしょうか?
 
【区長】そもそも瑕疵担保責任を放棄することは、問題になっていません。先程の一表を見てください。瑕疵担保責任を放棄したのは平成23年の3月です。私が退職したのは平成17年の7月です。その時点では瑕疵担保責任の放棄は、まったく問題になっていません。
 
【記者】知事本局長の立場でその話しが前に出ていたということはなかったでしょうか?
 
【区長】出ていません。無茶苦茶です。それでは石原さんと同じ論理です。最初からまるで私が犯人みたいに、全部知っていることはありえません。質問の意味が分かりません。
 
【記者】すいません、もう一つだけ確認なんですけど、判子を押すというのを、石原都知事が、別の人が判子を押したっておっしゃってましたけど、そういうことは都庁では行われているんですか。
 
【区長】ありえません。
 
【副区長】今日の記者会見を見ていて、石原元知事さんは、判子を押すという意味をちょっと取り違えています。東京都みたいな組織の場合だと、組織として意思決定する原議というものがあります。区役所もそうです。その原議というところに最終的にこれでいいと押す判子があります。それは例えば自分で花押を押したり、判子を押したりします。これと協定書や確認書、合意書などの公印があります。東京都知事という判子を混同しています。ただ、確認書や合意書の押印は、正式な東京都知事の公印です。原議、意思決定する中から上がってくる、意思決定をとるための原議は、自分で判子を押す。あるいは、自分で署名するということはあります。そこをちょっと混同しています。それからあと一点。今、印鑑の話しがでました。平成13年の合意があります。浜渦さんと東京ガスの副社長さんが結んでいる合意書です。普通は、対外的な文書では、ライン、意思決定、権限を持っているところが押します。副知事は、実はあまり権限がありません。だから、私は凄い違和感があると思っています。
 

【記者】毎日新聞の円谷と申します。よろしくお願いします。冒頭遅れてしまったので、あの説明がもしあったら、大変恐縮なんですけれども。2005年のその確認書を結んでいるタイミングがあると思うんですけども。この経過表だと交渉2となっていると。そこの部分で例えば土壌の地上2m、ここの部分で東ガスがどの範囲で土壌汚染を取り除くかというところを確認されていると思うんですけども。その交渉のタイミングでは、前川さんはどのように関わっていらっしゃたんでしょうか。
 

【区長】私、個人は全く関わっていません。知事本局の調整権、調整機能とは何か。これを見ていただくと分かるように、議案決定規程上、重要事項についての調整に関することというのが、私の権限だったんです。この押印した人を見ていただくと分かるように、私がトップではなくて、中央市場長から始まって、そして私が押し、都市整備局長、環境局長、港湾局長と、要は私は立会人としてやっているわけです。中央市場長は、実務上はもっとも責任が重いという意味で、彼が最初に押印しているわけです。知事本局が何もしていなかったというとそういうことではありません。事務段階で特に部長、課長が中心です。どういうことをやるか。関係する局がたくさんあるわけですから、例えば環境局と中央市場。土壌汚染処理をどこまでどうやるのか、決めなくてはいけない。その合意をみんなでしなくてはいけない。そういう場を作ります。あるいは、東京ガスに来てもらうとか、この辺りで手を打ったらどうかと、そういう仕事をやるのが実際上の権限でした。私がこれについて判子を押す前に報告を受けたのは、1回か2回だと思います。事務的に合意があって、この合意の内容は、基本的に浜渦さんが決めた平成13年7月の基本合意を踏まえてやっているわけです。何の問題もないと私は思っています。しかも内容も、土壌汚染についても法律と条例に従ってやるというだけの話です。そういう意味では東京ガスに無理のない内容になっています。問題ないということで判子を押しています。それだけです。
 

【特別参与】補足させていただきます。総合調整機能の話しがでました。知事本局の分掌事務として、都政の課題についての総合調整に関することという事務分掌があります。この総合調整をするということは、その権限をもって調整するといったことではありません。私は、前川の下で企画調整部長という職についておりました。実際に複数の局がまたがる課題というのは、都庁の中では膨大な件数があるわけです。それらについて調整をやります。権限のない調整ですから、上手くいかないものもかなりあります。実態から言えば、多分、半分以上は、きちっと調整しきれなかったという悔いを私はもっています。そういう役割であったということはご認識をしておいていただきたいと思います。
 

【記者】判子は押してありますけど、例えばその確認の内容についての良し悪しについても口を出すような感じじゃなかったのですか。
 

【区長】例えば、その土壌汚染をどうしますかということについて、これは市場長と環境局長が責任をもって、権限をもって対応します。それを私は、いわば担保というか、改めて確認で立ち会っています。そこで、役所の権限というのを想像してください。もし、私が本当に決定権というか、権限を持っていたとしたらどうなりますか。全知全能です。知事はいりません。そういうことは組織ではありえません。いろんなセクションの対立関係があります。財務局もあれば総務局もあり、いろんな形でお互いに、区役所と同じですけれども、一緒にやっていくのが組織です。そこを意図的に混同して、私に権限があったのにけしからんと。そういう議論をさんざん私はテレビでやられましたから、まいっています。そこはご理解いただきたいと思います。
 

【記者】日本テレビの船木です。宜しくお願いします。今日石原氏の会見のポイントとして、全て自分は関知していなくて、下に責任が、決めていたのは下だよというのが、一つポイントだったかなと思うんですけれども。手元の資料に2003年当時ぐらいから、土壌汚染の問題については、庁内では知事本局長までは話しをしているけれども、副知事には一切あげていないというようなお話しがでているんですけれども、この当時のそもそもの組織としてどのように動いていたのか教えてください。
 

【区長】それは先程お話しをしたように、担当の部長、課長が、担当の市場を始めとして、関連局を集めて議論をしていました。その全体を動かしていたのは、中身というよりも、動かしていたのは間違いなく知事本局です。本来はもっと早く結論が出ていたと、もう1年ぐらい前からと聞いています。それは調べてみないと、私はよく知りません。あまりうかつなことは言えません。本当は早く結びたかったけれども、庁内状況がそれをだんだん許さなくなって、特に百条委員会関係が出てきて、それどころではなくなりました。事実上機能しなくなったというのが事実です。
 

【記者】組織として、では決定はどこがやったんでしょうか、石原元知事は自分ではないとおっしゃったわけですけれども。

 

【区長】それはだから、石原さんは組織の長としての責任感が、責任とは何かが分かっていません。責任を取るのは、たとえ局長が決定したことであっても知事なんです。それを歴代の知事は皆さん分かっていらっしゃいました。だから前の知事がやったことであっても、現東京都知事として、責任を取られてきました。石原さんになるまでは。石原さんの最大の問題は、組織というものが分かっていません。こういう言い方をすると大変あれだけど、自分個人なんです。自分個人がどう手柄を立てたか、自分個人がどう批判されているか、そういう方です。だいたいお分かりになると思います。そこを分かっていなくて、しかも、部下のせいにするなんて、私たちから言わせれば、言語道断です。例えば、私が区長になって最初に直面した問題は、光が丘病院の問題でした。担保の話しで50億円。私は経緯は知りません。だけどそれは当時の区長がやったことはイコール私の責任です。部下のせいだと言ったことは一度もありません。そういうものです。それを世の中が許してきたのです。マスコミが許してきたのです。
 

【記者】当時の土壌汚染については、担当部長レベルで決めていたことが、そのまま決定までいってしまっていたということが事実上ということでしょうか。
 

【区長】そんなことはないです。最後に決めているのは、私を含め、関係の局は、みんな市場長も環境局長も判子を押しています。当時の恐怖支配と言いました。もし、これを浜渦さんだとか、知事に報告しないで我々だけで一方的に決めたとしたら、大変な報復です。必ず私は市場長が報告していると思います。
 

【記者】では認識していなかったということはありえないということでしょうか。
 

【区長】そういうことです。大変さっき悲しいというか、残念だと言いましたけれども、そういう方なんです。
 

【特別参与】若干補足をさせてください。お手元の「社会福祉法人東京都社会福事業団による」という長い題名の、12年前の百条委員会の記録というのがあります。めくっていただいて10ページのところに委員会の実施状況というのがあると思います。それの一番下から二つめ。第12回、平成17年5月31日。ここで「浜渦武生氏の虚偽の陳述は、告発に該当するものと判断し、本会議における告発の議決を求める。それから櫻井巌氏の行為及び本委員会委員柿沢未途氏、それから問責、議会運営委員会に協議を求めることを決定」これが平成17年5月31日という日付です。それでこちらに戻っていただきたいと思います。「17確認」という豊洲地区の土壌処理に関する確認書というのがあります。これが今お話しになられていた土壌汚染についての確認書です。その日付を見ていただくと平成17年5月31日。ということでいわば、百条委員会が決着をした日に、ようやく庁内合意ができたと、そういう状態であったということです。
 

【記者】テレビ朝日の中條と申します。ようするに今回の会見でその百条委員会等の資料が出てきたりですね。その石原さんのこの話、時系列、前後関係が無茶苦茶な状態だというような話しがありましたけれども、なぜ石原さんはそのように事実関係と違うことをおっしゃられたというふうに思いますか。改めて、その事実関係がまったく違うということをあのような場でお話しされて、前川さんの名前が何度も上がったことについては、どのような感情を抱いているかということを改めて参考にお聞かせいただきたいんですけれども。
 

【区長】それは、私だって分かりません。
 

【記者】先ほど一瞬その悪感情があったですとか。
 

【区長】それは、百条委員会の話しをしました。それで。
 

【記者】そういうような話しも、若干あの我々に対してほのめかされた部分もあると思うんですけど。
 

【区長】石原都政の推移を申し上げました。最初は一緒に頑張って、この知事だったらいろんなことをやってくれるんじゃないかと、我々も期待して一緒に頑張りました。それが段々、時間が経つに従って、石原さんは仕事をしなくなりました。浜渦さんが代官として、いわば恐怖支配による都庁をつくっていきました。その結接点が、最後のいわば山として、前回の百条委員会です。私を標的とした冤罪をつくろうとした動きがあり、それに対する百条委員会でした。私個人は石原さんや浜渦さんに敵対しようと思った意思は全くありません。当たり前ですが、私の上司ですから。なんとか彼らにきちんと仕事をしてもらいたい。自分が行政の筋を通しながら、彼らの言い分も通したいと思いました。だから3年間も知事本局長をやった人間は私だけです。みんな1年くらいで代わりました。せいぜい1名が2年くらいで交代しています。私はどうも有能だと思われたのか、使えると思われたのか3年もやらされました。ところがその結末がこの百条委員会だったわけです。それで私が好感情を持ちますか。ないじゃないですか。そういうことです。
 

【記者】では今回のその石原さんの会見で巻き込まれたというような印象なんでしょうか。
 

【区長】とばっちりです。いい加減にしてほしいと思います。この件については、私は関係ありません。時系列を見ても分かるし、やってきたことを見ても分かります。むしろ今日こうやって話しができてありがたいと思っています。この一年近く、テレビのワイドショーとか、週刊誌とか、全く私に取材もしないで、私が知事本局長として全権を持っていて、そして東京ガスと密接にやっていて、挙句の果ては天下りしたという、そういうわけの分からない悪徳役人みたいなストーリーをつくられて、大変な迷惑を受けてきたわけです。その根源はこの百条委員会であり、やはり石原さんであることは間違いないわけです。それはやっぱり私だっていい感情を持つわけはありません。それ以上のことをあまり言うと感情論になるのでやめます。
 

【記者】すみません。2点なんですけれども。東京新聞の柏崎です。この17確認の当時というのは、その土壌汚染の費用負担について、どっちがやるかというようなことが問題になっていたかどうか。それがまず1点。
 

【区長】その前だと思います。13年の基本合意で、護岸の整備を会社負担から除外する。そういったことは決めています。だから、それを受けての合意は14年の確認書です。私もそんなに細かいことを全部知っているわけではありません。
 

【副区長】今の件について言います。13年の合意の時に、皆さま方の報道でもいろいろ出ているみたいですけど、浜渦さんは「水面下でいろいろやりましょう」ということを言いました。その中でやっていることだと思います。前川氏が知事本局長になってから具体的な話がどう進んでいるか、把握しようがありません。
 

【記者】瑕疵についても話題にはなっていなかったということですか。
 

【区長】全くお分かりになっていらっしゃらない。先程の方も誤解されて、私が何か瑕疵担保責任について、知事に進言しないのかということですが、そもそも話題になっていません。瑕疵担保を外す。事務当局としては、何でこんなことをしたのかよく理解できません。
 

【記者】もう一点なんですが、再就職の件で、知事、東京都との関係が悪くなったので、都の関連じゃない方がいいという希望なんかを出されたという、なんかちょっとどちらかで見たんですが。その事実は。
 

【区長】私個人としては、石原さんや浜渦さんの権限の及ばないところに行きたいとは思っていました。けれども再就職というのは、希望を出して、希望に従っての問題ではありません。あくまでも人事当局が上司と相談して決めることです。いろんな意味で、東京都と関係ないところがいいだろうという判断が働いたのかもしれません。私は決定の経緯は知りません。
 
【記者】それは何か希望を聞かれたりとかそういうことはなかったんですか。
 
【区長】それはありません。
  
【記者】フジテレビ「とくダネ」のアベです。すいません、もしお答えになって私がまだ理解できていないのかもしれないですが、申し訳ございません。交渉にも全く携わっていない、あくまでも総合的な調整役とお話しされていましたけれども、なぜ今回こんなに会見でキーマンのように名前が、前川区長の名前があがったと思いますか。
 
【区長】それは私が教えてもらいたいです。先程言った百条委員会が原因かなと思うくらいです。私は本音を言うと、石原都政というのは、大きな功績もありました。なんとかまともな行政をやってもらおうと、知事本局長をやっている間、ずっと思っていました。だから、私が一番苦労したのは何かというと、行政の筋を通しながら、石原さんや浜渦さんの顔を立てて、仕事をしなくてはいけません。それで、苦労した訳です。
 
【副区長】私の方から補足いたします。本人がなかなか言いづらい部分があるかと思いますので、私の方から言います。一つは、石原さんの頭の中には、前川という名前がすり込まれているんです。というのは、それだけ役人の中では、大きな存在だったということです。つまり先程言いましたが、3年間も知事本局長をやられた人というのは、石原都政の中ではいないんです。それだけ、石原知事にとっては印象が強かったということです。だから名前がすぐ出てくるんです。なにかというとすぐ出てきます。
 

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