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練馬区
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石神井川流域の遺跡

更新日:2010年2月1日

 練馬区を東西に貫流する石神井川は、荒川水系に属する一級河川です。その水源は小平市小金井カントリー倶楽部付近で、北区に入ると隅田川に合流します。流域にはいたる所に遺跡が所在していますが、区内では関町北の富士見池、石神井の三宝寺池周辺に大規模な遺跡が拡がっています。

富士見池西方せいほう遺跡:No.36遺跡

 西東京市との境の道路を調査し、縄文時代の集石などが発掘されていますが、遺跡の分布は淡いと考えられています。江戸時代の陶磁器とともに、子供用の下駄などが出土しました。

川北遺跡:No.37遺跡

 関町北4丁目、都立石神井高校の南一帯に拡がる遺跡です。旧石器・縄文時代早期〜中期の遺構・遺物が発見されており、なかでも阿玉台式土器とよばれる縄文時代中期の土器が、住居跡から出土した例は区内では少ないものです。

阿玉台式土器・垂飾(縄文時代中期)の写真
阿玉台式土器(縄文時代中期)

富士見池遺跡群:No.38遺跡

 関町北3丁目、富士見池南側に拡がる大規模遺跡群です。葛原遺跡A地点・溜淵ためぶち遺跡・武蔵関遺跡・天祖神社東遺跡が調査されています。旧石器・縄文時代早期〜中期の遺構・遺物が豊富に発見されています。特に旧石器時代の武蔵関遺跡から出土したおお型の槍先がた石器は区の登録文化財になっています。なお、隣接する西東京市東伏見の下野谷したのや遺跡は、行政区画の違いで名称は異なりますが、富士見池遺跡群と連続する遺跡で縄文時代の環状集落が見つかっています。

武蔵関遺跡出土の大型槍先形(やりさきがた)石器(区登録文化財)
武蔵関遺跡出土の大型槍先形(やりさきがた)石器(区登録文化財)

武蔵関北遺跡:No.42遺跡

 関町北4丁目、東京女子学院付近に位置する旧石器・縄文時代中頃の遺跡です。旧石器時代の石器では、その材料が日本海側地域や新潟県など、遠隔地のものであることが鑑定の結果明らかになったことは注目です。また縄文時代の狩猟活動を示す陥穴おとしあなが、けもの道を利用して市松模様に配されていることが発見されました。なお、この遺跡の地層には、第二次大戦中の爆弾の痕跡が残されていました。

富士見池北ふじみいけきた遺跡:No43遺跡

 平成12年〜13年、都営住宅建替えに先立ち発掘調査されました。旧石器時代と縄文時代を中心とする遺跡で、特に関東ローム層上部の文化層からは、礫群と多種類の石を素材とする石器が多量に出土しました。

扇山おうぎやま遺跡:No.57遺跡

 石神井台4丁目、都営上石神井アパート一帯いったいに拡がる遺跡で、縄文時代中期の遺構・遺物が発見されています。遺跡は石神井川が北東へ流れを変える台地の縁ぺんに位置しており、これまでに30軒を越える縄文時代の竪穴住居址が確認されています。硬玉こうぎょく製の大珠たいしゅ(首飾り)などの装飾品も発見されており、練馬区を代表する縄文時代遺跡のひとつです。

有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)
有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)

城山遺跡・愛宕山塁あたごやまるい:No.45・139遺跡

 上石神井3丁目、早稲田高等学院こうとうがくいん一帯に拡がる遺跡で、旧石器・縄文・弥生・中世の遺構・遺物が確認されています。旧石器時代の石器の一部には細石じんと呼ばれる、区内では類例の少ない石器が出土しています。なお、No.139遺跡の愛宕山塁あたごやまるいは、太田道灌おおたどうかん勢の石神井城攻め(次項を参照)の際の陣という伝承がありますが、調査でははっきりしていません。堀状の遺構が確認されており、ある程度の規模の施設が構えられていた可能性が考えられます。

石神井台遺跡・石神井城あと:No.50・53遺跡

 石神井台1丁目、石神井公園三宝寺池の南一帯に拡がる、旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世の遺跡群です。石神井城あとは、鎌倉時代から室町時代にかけて、南武蔵みなみむさしに勢力を有していた豊島氏の城館じょうかん跡で、文明9年(1477年)に太田道灌おおたどうかん勢の攻撃で落城したと伝えられています。現在の氷川神社あたりがじょう郭の中心と推定されており、公園内に主郭とされる堀・土塁どるいの一部が残っています。昭和31年〜33年に現況調査および小規模な発掘調査が行われましたが、その際に得られた情報をもとに作図されたものが下図です。城の範囲は遺跡地全域に及ぶものと考えられます。現在「三宝寺池及び石神井城あと」として東京都の旧跡に指定されており、三宝寺池のほとりには石碑が建てられています。

石神井城跡空堀
石神井城跡空堀

石神井城跡内郭の柱穴群と畝状遺構
石神井城跡内郭の柱穴群と畝状遺構

豊島氏の城館跡の調査地図

池淵遺跡:No.64遺跡

 石神井町5丁目、三宝寺池東一帯に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・弥生・古墳・中世の遺構・遺物が発見されています。隣接する石神井台遺跡・石神井城あととは道路で寸断されていますが、昭和48年の調査では石神井城に関連するものと考えられる建物の柱穴を伴った溝が発見されており、連続する遺跡である可能性があります。なお、この昭和48年調査の地点(石神井台1丁目12番〜13番付近)は現在、池淵史跡公園として整備保存がはかられれています。この石神井台遺跡・石神井城あと、池淵遺跡の周辺には、湧水池の三宝寺池を中心として遺跡が広範囲に拡がっています。

和田遺跡:No.69遺跡

 縄文時代の遺跡として周知されていましたが、平成18年の試掘調査によって旧石器時代の遺跡が見つかりました。凝灰岩製の尖頭器(槍先やりさき)と石器集中部、礫群が見つかっています。

尖頭器出土状況
尖頭器出土状況

高松二丁目遺跡:No.73遺跡

 平成18年に発掘調査され、黒曜石主体の石器製作跡と礫群が見つかりました。石器は、ナイフ形石器などがあります。縄文時代だけでなく、旧石器時代の集落跡であることが分かりました。

No.77遺跡

 高野台1丁目7番の個人住宅内に位置する塚(築山)です。『練馬区史』(昭和32年)では古墳とされていましたが、そのの調査で江戸時代以降に築造された塚であることがわかりました。現在は塚頂上に祠が築造されていますが、塚の性格については不明です。

南田中三丁目遺跡:No.82遺跡

 環状8号線道路建設に先立ち平成13年〜14年に発掘され、縄文時代中期の竪穴住居跡などが調査されました。

住居跡
住居跡

富士見台三丁目遺跡:No.84遺跡

 環状8号線道路建設に先立ち平成14年に発掘され、縄文時代中期の竪穴住居跡1軒、集石17基などが発掘されました。集石は石蒸調理の跡とされますが、この遺跡では小規模で石は小さく数が少ないのが特徴です。

住居跡
住居跡

堀北遺跡:No.86遺跡

 富士見台4丁目34番付近に拡がる遺跡で、現在、富士見ヶ丘静風荘結核療養所跡地と堀北遺跡を示す文化財説明板が建てられています。堀北遺跡は縄文時代中期の遺跡であり、10件以上の竪穴住居址が密集して発見されました。また平成10年の発掘調査では、古墳時代の住居址も発見されています。

堀北遺跡第2地点
堀北遺跡第2地点

堀北遺跡第2地点
堀北遺跡第2地点

中村橋遺跡:No.89遺跡

 貫井2丁目8番付近に拡がる遺跡で、後述する貫井二丁目遺跡との間には、貫井川と呼ばれる石神井川の小支流がかつて流れていました。現在は暗渠化によりその流れを見ることはできませんが、貫井二丁目とは対岸の位置にあります。縄文・弥生・古墳・奈良・平安にわたる遺構・遺物が確認されています。昭和33年に三菱レイヨン遺跡として調査された時に、縄文時代の土偶としては珍しい男性器を表現した土偶破片が出土しています。平成になってから、4次調査まで実施し、縄文時代中期〜後期の住居址が多数発見され、平安時代の住居址も見つかっています。

貫井二丁目遺跡:No.91遺跡

 貫井2丁目、練馬第小学校・貫井中学校一帯に拡がる遺跡です。遺跡地の南には、かつて貫井池と呼ばれた貫井川に注ぐ池がありましたが、現在では埋め立てられてその姿を見ることはできません。旧石器・縄文・弥生・奈良・平安・近世の各時代にわたって遺構・遺物が出土しています。奈良時代の精巧な毛彫り彫刻を施してきんメッキされた金銅製飾具や、素焼きの土器を焼いた跡である土師器焼成坑など、奈良・平安時代の遺構・遺物はこの地域の特色を示しています。また、近世の遺構として墓坑が発見されており、当時この地が墓地として使われていたことを窺わせます。また前述した金銅製飾具は、区の指定文化財となっています。

金銅製飾具(こんどうせいかざりぐ)(奈良時代)
金銅製飾具(こんどうせいかざりぐ)(奈良時代)

田島遺跡:No.94遺跡

 環状8号線建設に先立ち平成13年〜14年に発掘され、旧石器、縄文、弥生、近世の各時代の遺構・遺物が出土しました。特に弥生時代後期の竪穴住居跡は火災住居で炭化材とともに、住居の床面からは、絹の布が付いた石が出土しています。

竪穴住居跡(弥生時代)
竪穴住居跡(弥生時代)

尾崎おさき遺跡:No.98遺跡

 春日町5丁目、春日小学校一帯に拡がる遺跡です。発見された遺構・遺物は旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世の各時代にわたっています。石神井川の低湿地でい炭層の調査で検出された旧石器時代の植物化石は、分析の結果、江古田えこだ植物化石層群に相当する針葉樹・落葉広葉樹のもので、当時は現在よりも寒冷な気候であったことがわかりました。弥生時代の壷・甕形土器などの完形品が出土しています。また平安時代の住居址が確認され、埋め戻し、保存されています。平安時代の遺物として、火をおこす道具である木製の火鑽臼ひきりうすが出土しており、これは東京都内でも類例の少ない遺物です。尾崎おさき遺跡では練馬区の歴史を考える上で貴重な資料が出土しており、昭和58年に東京都史跡に、また平成3年にはその出土遺物が練馬区指定文化財となりました。現在遺物は春日小学校(春日5丁目12番1号)に整理保存されており、同校内こうない尾崎おさき遺跡資料展示室にその一部が陳列されています。

尾崎(おさき)遺跡出土品(区指定文化財)
尾崎(おさき)遺跡出土品(区指定文化財)

尾崎(おさき)遺跡
尾崎(おさき)遺跡

尾崎(おさき)遺跡発掘調査区と第1次調査発見の遺構
尾崎(おさき)遺跡発掘調査区と第1次調査発見の遺構

中宮なかみや遺跡:No.101遺跡

 早宮3丁目35番一帯に拡がる、縄文・弥生・古墳の遺跡です。古墳時代初めの住居址から、小型壷がた土器12個が集中して出土しました。小型壷がた土器の盛土状もりどじょう遺構の集中出土は、この時期の住居内祭祀の一形態を示しているものと考えられ、貴重な資料です。

盛土(もりど)状遺構(古墳時代)
盛土(もりど)状遺構(古墳時代)

No.103〜106遺跡

 氷川台2丁目(No.104〜106遺跡)・早宮3丁目(No.103遺跡)の遺跡で、今のところ田柄川流域で確認されているのはこの4遺跡だけです。田柄川は石神井川の支流で、現在は暗渠化されています。この4遺跡中で調査が行われたのはNo.104遺跡で、旧石器時代の石器などが出土しています。

茂呂遺跡A地点:No.107遺跡

 羽沢3丁目、都立おお山高校付近に位置する遺跡です。すぐ北側の板橋区には、旧石器時代の遺跡として著名な茂呂遺跡(板橋区小茂根)があります。茂呂型ナイフ形石器は旧石器の編年の示標となりました。この茂呂遺跡A地点では旧石器時代の遺物は確認されませんでした。

栗山遺跡:No.108遺跡

 練馬2丁目、開進第中学校付近に位置する遺跡で、調査では旧石器・縄文・弥生・古墳・平安時代の遺構・遺物が発見されました。地形的には台地の縁ぺん部から低湿地を含んでおり、低湿地からは縄文時代の栗などの植物遺存いぞんたいが発見されました。また、縄文時代前期と平安時代の住居跡と遺物が発見されました。この付近の石神井川右岸に奈良・平安時代でも最も中世に近い特徴を持った土器が住居跡から出土しています。

土器出土状態(縄文時代前期)
土器出土状態(縄文時代前期)

竪穴住居跡(平安時代)
竪穴住居跡(平安時代)

高稲荷たかいなり遺跡:No.114遺跡

 桜台6丁目、高稲荷たかいなり神社付近に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・弥生の遺跡ですが、発掘調査では旧石器時代の石器がおおく出土しています。中でも、立川ローム層3層下部より出土した、東北地方産と考えられる硬質頁岩けつがんを主な材料とした石器ブロックは、黒曜石やチャートを石器の材料とすることがおおかった石神井川流域の旧石器時代遺跡とは異なる特徴を見せており、注目される資料です。この頁岩けつがん製石器群は、現在区の登録文化財になっています。

高稲荷(たかいなり)遺跡出土品
高稲荷(たかいなり)遺跡出土品

小竹遺跡:No.116遺跡

 遺跡の北の板橋区境付近には、石神井川の支流が流れており、その支流は練馬区・板橋区・豊島区の3区が接するあたり、練馬区で言うと小竹町1丁目付近でさらに3つの小支流に分岐します。小竹遺跡と後述する小竹町二丁目遺跡(No.82遺跡)は、この小支流によって形成された舌状ぜつじょう台地に営まれた遺跡です。小竹遺跡は小竹町1丁目13・20番付近に位置し、縄文時代初め〜中頃、近世の遺構・遺物が出土しています。

大珠(たいしゅ)(縄文時代中期後葉)
大珠(たいしゅ)(縄文時代中期後葉)

小竹町二丁目遺跡:No.118遺跡

 小竹町2丁目、都営小竹町二丁目団地付近に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・中世・近世の遺構・遺物が発見されました。近世の陶磁器類がまとまって出土していますが、住居跡に伴うものではありません。いずれも日常生活で用いる什器じゅうきたぐいで、磁器は肥前産の碗・皿が、陶器は美濃産のへい(高田徳利とっくり)・鉢がおおいという傾向があり、近世農村の陶磁器の使用を考える上で興味深い資料となっています。

瓢箪形深鉢土器片(ふかばちどきへん)(縄文時代中期末葉)
瓢箪形深鉢土器片(ふかばちどきへん)(縄文時代中期末葉)

栗原遺跡:No.129遺跡

 氷川台1丁目、都立城北中央公園の一部を含んで西に拡がる遺跡です。昭和30年に立教大学グラウンド(現城北中央公園)建設に伴って発掘調査が行われています。旧石器・縄文・弥生・奈良・平安の遺構・遺物が出土していますが、弥生時代と奈良・平安時代の住居跡とその遺物は注目すべき資料です。特に平安時代の鉄製品(農耕具、武具ぶぐ、馬具など)と砥石、鉄を精錬した時に生じる鉄滓てっさいの出土は、この栗原遺跡の住居跡のいくつかに鍛冶をおこなった人々が住んでいたことを窺わせます。古墳〜奈良時代の竪穴住居址のひとつは、現在上屋うわやが推定復元されて公園内に保存されています。

栗原遺跡住居跡
栗原遺跡住居跡

練馬城跡:No.130・136遺跡

 向山3丁目、豊島園とその南一帯に拡がる遺跡です。縄文・中世の遺跡ですが、中心となるのは中世城館の練馬城跡です。練馬城跡は、前述した石神井城あと(No.53遺跡)と同じく豊島氏の城館じょうかん跡で、文明9年(1477年)の太田道灌おおたどうかん勢との合戦で、石神井城と同じ頃に落城したものと考えられています。練馬城は石神井川の急がい浸食しんしょく谷などで、自然地形を利用しています。昭和63年の発掘調査で空堀が発見されており、台地の突端に堀が巡っていたことが分かりました。大正15年に東京都の旧跡に指定されましたが、地表には往時の練馬城を窺える遺構は現在は残っていません。

右馬頭うまのかみ屋敷跡:No.138遺跡

 練馬2丁目、開進第中学校付近。中世に「右馬頭うまのかみ」と称した者の屋敷が建っていたという伝承が残るのみで、栗山遺跡の2回の発掘調査ではその存在を確認できませんでした。

東早ぶち遺跡:No.143遺跡

 早宮1丁目、開進第一中学校南に拡がる遺跡です。旧石器・縄文・弥生・古墳・平安の遺構・遺物が確認されており、特に旧石器時代の調査ではおおきな成果をあげています。「赤土」と呼ばれる関東ローム層はその色相しきそうや性質から20以上の層に分けられますが、遺構が発見されるのは、その中でも立川ローム層と呼ばれる10層に分類される最上部の関東ローム層です。東早ぶち遺跡では、立川ローム層の中で6時期もの生活の痕跡が確認されました。中位の4〜5層から石器の出土が最もおおく、また最も古いもので最下層の10層からも局部磨製石斧せきふなどの石器が出土しています。弥生時代の住居址・土器などが発見された第3次調査地点(早宮1丁目18番、平成2年調査)は、早宮史跡公園として遺跡の整備保存がはかられています。

竪穴住居跡(平安時代)
竪穴住居跡(平安時代))

局部磨製石斧(せきふ)出土状態
局部磨製石斧(せきふ)出土状態

葛原遺跡B地点:No.146遺跡

 関町北2丁目25番付近、旧石器・縄文時代早期の遺跡です。縄文時代初めによく見られる、屋外で火を焚いた跡であるおお形の炉穴が発見されています。

葛原遺跡B地点
葛原遺跡B地点

葛原遺跡B地点
葛原遺跡B地点

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地域文化部 文化・生涯学習課 伝統文化係  組織詳細へ
電話:03-5984-2442(直通)  ファクス:03-5984-1228
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