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練馬区
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練馬の地名 今むかし(練馬)

更新日:2010年3月24日

練馬(ねりま)

練馬の位置
練馬の位置

西武池袋線 練馬駅〔平成15年(2003年)〕
西武池袋線 練馬駅〔平成15年(2003年)〕

 町名の「練馬」が生まれたのは昭和38年のことである。前年制定された住居表示制度の、都内実施第1号であった。
 江戸時代から明治、大正までここは下練馬村といった。昭和4年、村は一時町制をしいたが、同7年の板橋区成立によって、南町4、5丁目となった。
 昭和22年8月、板橋区練馬支所管内が独立して「練馬区」が誕生した。11万区民長年の悲願であった。
 「練馬」という地名は古い。文明9年(1477年)、練馬、石神井の領主豊島泰経は、太田道灌を攻めて両城を打って出たと、道灌の書状や『鎌倉大草紙』という本に書いてある。練馬城は今の豊島園のところである。
 さらにさかのぼって8世紀ごろ、武蔵と下総を結ぶ官道に「乗瀦」という宿駅があった(『続日本記<しょくにほんぎ>』)。これをノリヌマと読んで、ネリマに訛(なま)ったとする説がある。白山神社(練馬4−2)には樹齢800年といわれる大ケヤキが、また阿弥陀寺(同1−44)には区内で2番目に古い鎌倉時代の板碑がある。近くには古(こ)鎌倉みちの伝承もある。乗瀦が練馬であっても少しも不思議はない。
 練馬の由来に、むかし馬どろぼうが、盗んで集めた馬を調練したところだという話が有名である。広い原野を色とりどりの馬が駆けめぐるさまは、夢があって楽しい。
 戦国時代の記録に「練間」と書いたものがある。地名には当て字が多いからどちらが正しいともいえない。
 練馬はネリバ(練場)だとする説もある。この辺は古代に土器を作る粘土が豊富で、材料の土を練るのに最適の場所であった。先ごろ、貫井(旧上練馬村)の遺跡から都内では珍しい窯場跡(かまばあと)が発見された。ともかく練馬の地名の起源は、はるか歴史のかなたにありそうだ。

ねりま区報 昭和60年1月11日号 掲載

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