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石神井公園コース(お散歩スポット)

更新日:2010年2月1日

1 三宝寺(石神井台1丁目15)

三宝寺外観写真

 応永元年(1394年)に下石神井村に創建され、のちに太田道灌どうかんが現在の地に移したといわれています。その後、北条氏、徳川氏からも保護され、江戸時代には近郊に数十の末寺を持っていました。2度の火災で貴重な器物や古文書を消失しましたが、今でも優れた仏像や板碑などが残されています。表参道の「守護使不入しゅごしふにゅう」の碑は守護の徴税使であっても入れないことを示し、この寺の格式を示しています。また、境内には徳川家光ゆかりの御成門や勝海舟の屋敷門を移した長屋門があります。

2 三宝寺池(石神井台1丁目)

三宝寺池の風景写真

 井之頭池、善福寺池などとともに、武蔵野台地の地下水が湧出した水でできた池です。池の浮島には弁財天が祀られ、江戸時代にはこの池を水源とする村の農民が「講」(宗教・経済・社交上の目的を達成するために仕組まれた結衆集団)を作って崇拝していました。また昔より禁猟地であったため、草木がよく繁茂し鳥の楽園となっています。武蔵野の面影を残す樹林、沼沢植物群落などの水面に映し出す四季折々の美しい自然は、まさに神秘的ともいえます。

3 道場寺(石神井台1丁目16)

道場寺の写真

 応安5年(1372年)、石神井城主・豊島景村の養子、輝時(北条高時の孫)が大岳禅師だいがくぜんじを招いて建てたものです。輝時は自分の土地を寺に寄付して、豊島氏代々の菩提寺にしたと伝えられています。今でも豊島氏の位牌が安置され、境内には文明9年(1477年)太田道灌に滅ぼされた豊島氏最後の城主泰経や一族の墓と伝えられる石塔三基があります。また、寺には戦国時代になって、小田原の北条氏からもらった段銭たんせん懸銭かけせん(いずれも税)の免除を受けた北条氏康印判状(練馬区指定文化財)も所蔵されています。また、境内には木造の三重の塔があり、静かな境内に鐘の音が響きわたっています。

4 池淵史跡公園(石神井町5丁目13)

池淵史跡公園の写真

 池淵とは、「石神井池の淵」という意味で、近年遺跡が出土したところです。昭和31年から4回にわたり発掘調査され、遺跡保存のため、昭和52年この公園が造られました。遺跡からは先土器時代、鎌倉時代、さらに室町時代の遺物まで出ています。石器・土器・竪穴式住居や中世の陶器片などの遺物の紹介は園内の説明版でわかりやすく説明されています。また、小・中学校の教科書に出てくる植物を集めた教材園や万葉コーナーなどもあり、散策しながら学習できるようになっています。公園内は、地中に残る遺跡を保存するために低木が多く、整然と植えられ、とても明るい感じです。花の盛りにここを訪れる虫たちをみるのも楽しみの一つでしょう。

5 石神井公園ボート池付近(石神井町5丁目)

石神井公園ボート池付近の写真

 石神井公園ボート池は昭和の始めに作られた人工の池で、森に囲まれた三宝寺池とは対照的に広々した明るい感じの池です。もとは三宝寺池から流れる水を、周辺の水田に引くための水路でした。その水をせきとめ、人工の池としたものです。池の東端にはボート場が設けられ、石神井公園のレジャー施設の中心地として、子どもたちや家族づれで終日にぎわいをみせています。

6 禅定院(石神井町5丁目19)

禅定院

 明応3年(1494年)願行がんぎょう上人が開いたといわれるこの寺は、文政年間(1818〜1830年)に火災にあい、本堂、庫裡など、すべて焼けてしまいましたが、境内の応安〜至徳(南北朝時代)年号の板碑によっても創建の古さをうかがうことができます。安政4年(1857年)に建てられた鐘楼前の石塔や門前の堂宇に安置された六地蔵は石神井村の光明真言講中によって造立されたものです。本堂前の「寛文十三年十月朔日」と刻まれた織部おりべ灯籠はその像容から別名キリシタン灯籠といわれ、区内でも珍しい石像物の1つです。なお、現在の石神井小学校の前身である豊島小学校が、明治7年(1874年)5月にこの寺を借りて開設され、その記念碑が境内に残されています。

7 氷川神社(石神井台1丁目18)

氷川神社の写真

 氷川神社は、社伝によると、応永年間(1394年〜1428年)にこの地を治めていた豊島氏が武蔵一ノ宮の御分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれています。文明9年(1477年)石神井城落城後は、石神井郷の総鎮守として付近の村から崇敬されていました。また境内には数多くの石像物があり、なかでも本殿の左右にある石灯籠は、元禄12年(1699年)豊島氏の子孫である豊島泰盈やすみつ泰音やすたかによって奉納された由緒あるものです。毎年初参りや七五三の時期には、境内に多くの人たちが訪れています。

8 石神井城跡(石神井台1丁目18)

石神井城跡写真

 石神井城は中世武士の豊島氏の城です。豊島氏は、葛西、江戸両氏と同じ秩父平氏の流れで、鎌倉時代の末には石神井郷を領有していました。室町時代に城主の豊島泰経やすつねは、関東管領の上杉顕定あきさだにそむいた長尾景春に味方したため、顕定を援助していた上杉定正の重臣太田道灌が文明9年(1477年)4月この城の泰経をせめて城を落としました。この城は中世の平城のひとつで、三宝寺池の谷と石神井川の低地にはさまれた丘の上にあり、空堀や土囲(土を盛り上げて作った土手)をめぐらせていました。今でも空堀の跡の一部が見られますが、落城によって照姫が水中に身を投げたという伝説など数々の悲しい物語が残されています。

9 長命寺(高野台3丁目10)

長命寺の写真

 長命寺は、後北条氏の一族である増島重明が慶長18年(1613年)に開きました。ついで、弟の重俊が諸堂を建立し、寛永17年(1640年)大和長谷寺の秀算しゅうざんを招いて開山し、「長命寺」と称しました。寺の規模は高野山にならったもので、「東高野山」または「新高野山」と呼ばれ、徳川将軍家より拝領を受けていました。現在も江戸時代の庶民信仰の霊場であった頃の趣をよく残しています。また広大な敷地の境内には、区内最古の梵鐘、都の史跡として指定された「奥の院境域」、十王・十三仏の石像など見るべきものが多くあります。

石神井あれこれ

照姫と照姫まつり

照姫まつりの様子

照姫まつりの様子

 石神井城落城には悲しい秘話があります。落城の際、城主泰経やすつねは愛馬に黄金の鞍を置き、太田勢の見守る中、三宝寺池に飛び込みました。池の底は深く、人と馬は瞬く間に消えましたが、金の鞍がさんぜんと輝いていたといいます。泰経の愛娘、照姫てるひめは父母の最後をみると悲嘆のあまり、自分も父の後を追って池に入水したといわれています。
 三宝寺池の北の丘の上に小さな塚が2つ残っています。1つは泰経を葬った殿塚、少し離れて照姫を葬った姫塚です。姫塚の上の松の木に登ると、今でも池の底から金の光が見えると伝えられています。
 この照姫にちなんで、「水と緑と歴史のふるさと」をテーマに照姫まつりが毎年4月下旬石神井公園で行われています。恒例の照姫行列をはじめ、出店、展示やステージの催しにはたくさんの人出でにぎわっています。

豊島氏と太田道灌

 石神井公園には、豊島氏と太田道灌どうかんにまつわる話が多くあります。豊島氏は平安末期、平氏の流れをくむ秩父二郎武常たけつねが武蔵国豊島郡に住んだことから、「豊島」の氏を名乗ることとなりました。鎌倉時代には、練馬の石神井城、滝野川の平塚城(北区滝野川)を中心として、幕府に所領を保障され勢力を誇っていました。室町時代中期、関東管領かんれい上杉氏の家老職をめぐる内紛の中で豊島氏は、上杉氏に反旗を翻す長尾景春かげはるに味方し、上杉氏の家臣太田道灌と激しく対立するようになります。両軍は江古田・沼袋の原(中野区松が丘)で戦い、豊島方は弟はじめ150人が戦死。兄泰経は辛うじて石神井城へ引き上げることになりました。道灌は泰経を追って城を囲み、攻防数日、泰経はついに降伏し、和睦を申し入れました。しかし、道灌はこれを泰経の陰謀と考え、文明9年(1477年)4月28日一気に城を攻め、城はあっけなく陥落し、平安時代以来の名族豊島氏は没落していきました。
 太田道灌は、軍事・学問に通じ江戸を居城として、上杉氏を擁護して関東各地で戦いましたが、文明18年(1486年)主君上杉定正に誤解され暗殺されることになります。練馬の地は一時太田氏の支配を受けますが、北条氏の台頭、徳川家康の進出を機に太田氏は歴史の表舞台から次第に消えていきます。「夏草や兵どもが夢のあと」といったところでしょうか。

ひと口メモ

石神井

三宝寺池の様子

 日頃、何気なく呼んでいる「しゃくじい」の名も、全国的には難読地名のひとつです。昔、村人が井戸を掘っていたところ、石棒が出てきました。石棒には奇瑞きずい(めでたいことの前兆として現れた不思議な現象)があって、村人たちは、それを霊石とあがめ、石神いしがみ様として祀りました。いつか、村の名もそれにちなんで石神井と呼ぶようになりました。一説には石神様は、三宝寺池から出現した石剣とも伝えられています。

平成みあい橋

平成みあい橋

 平成みあい橋は「練馬の橋・デザインコンテスト」で最優秀賞を受賞したデザインを元にして設計された橋です。平成みあい橋の「みあい」とは「三会」「見合」「美愛」などを表し、自然との出会い、人々との語らい、そんなすばらしい出会いがこの橋にあってほしいという願いが込められています。

写真:長濱 雄三(※印)

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都市整備部 都市計画課 土地利用計画担当係  組織詳細へ
電話:03-5984-1544(直通)  ファクス:03-5984-1226
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