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光が丘公園コース(お散歩スポット)

更新日:2012年9月28日

1 光が丘公園(光が丘3・4・5・6・7丁目)

光が丘公園

 光が丘公園は総面積60haと区内最大規模を有し、その広さは日比谷公園の約4倍にもなります。グラントハイツ跡地の整備によって造られた公園で樹木が多く、サクラ、イチョウ、ツツジ、ケヤキがつくり出す四季の景観は素晴らしいものです。銀色に輝くモニュメントがある正面入口広場からまっすぐ進むと、西側は広大な芝生広場になっており、この広場は毎年「練馬こどもまつり」の会場になっています。公園の東側部分は、野球場、陸上競技場、テニスコートなどの施設が整備されており、広々とした青空の下スポーツを楽しむ人々でにぎわっています。

光が丘公園

A 夏の雲公園(光ヶ丘3丁目4)
 夏の雲公園は、太陽・水・みどりをテーマにした大きな「広場」のある公園です。
 「太陽の広場」にあるユニークな壁画は、近くの小学校の子どもたちが卒業記念に描いた力作です。広場は、ローラースケートや壁打ちテニスもでき、いつもにぎやかで若々しいエネルギーに満ちあふれています。
 「ジャブジャブ広場」は、4か所の円筒から渦巻きのように水が流れ、子どもたちの自由な水遊びの場所になっています。
 また、楽しみながら体力作りができるように、健康道具を利用したフィットネスがこの公園をスタート地点として設置されています。

光が丘公園

B 光が丘公園バードサンクチュアリ
 光が丘公園のなかには、樹木や草花が茂り、昆虫が住み、野鳥が飛び交う自然の空間があります。自然の生態系を回復し、自然と人間のふれあいの場になるようにと、願いを込めて作ったバードサンクチュアリです。バードサンクチュアリの「保護ゾーン」では観察舎から野鳥の観察が、「ふれあいゾーン」では野鳥と人間が、間近に接することができるようになっています。(開園毎日曜日)

2 天祖神社と上練馬村玉川上水分水碑(田柄4丁目27)

上練馬村玉川上水分水碑

 天祖神社は、その昔、神明宮と称していましたが、慶長3年(1598年)に上野伝右衛門が伊勢神宮へ参詣し、分霊を受け邸内に奉安し、社殿を造ったことに始まると言われています。
 神社境内には、水神宮を祀る上練馬村玉川上水分水碑があります。かつて、上練馬村の田柄地区は、水利が悪いため、水田は天水に頼っていました。このため、日照りが続くと、たちまち収穫に影響が出るという状態でした。明治4年(1871年)、玉川上水から水を受けていた村々に増水を願う機運が高まり、田無村から下練馬村にいたる周辺9か村で用水を開発しました。用水の水は、初めこの地域には、満足に届きませんでしたが、その後、下流の工場や村々から増水運動が起こり、明治26年(1893年)になって、ようやく豊かな水が流れる川となりました。分水碑はこれを記念して建てられたものです。

3 愛宕神社と金魚市(田柄2丁目17)

愛宕神社

金魚市

 愛宕神社は、慶長年間に山城の愛宕大明神を勧請したとされ、古くからこの地の信仰の中心だったと思われます。
 毎年、7月24日の大祭には「金魚市」が開かれます。金魚市は、祭神が火防ひぶせ及び農作であり、「金魚」「水」はこれに深い関係があることから明治10年頃から始まり、農家の人たちは大祭までに農作物の2番作の区切りをつけ、お祭りの際厄除け、家の火防として金魚を持ち帰りました。市の始まった当初は、2里四方の善男善女でおおいににぎわったといわれています。

4 田柄川緑道(田柄・北町・錦)

田柄川緑道

 緑道は、都立城北公園から川越街道をまたがり、光が丘の秋の陽公園までを結んでいます。自動車の道とは完全に分離されているので、安全に歩くことができます。ここでは、コナラ、クヌギなどを中心に様々な草木がまるで植物園のように全長4.7kmにわたり植えられていて、四季折々に人々の目を楽しませています。
 第二土木出張所前にある3体の怪獣は、田柄第三小学校の児童の作品を題材としたもので、練馬百景にも選ばれました。

5 愛染院と参道(春日町4丁目17)

愛染院と参道

 練月山愛染院観音寺は、真言宗豊山派の寺で、開基は永享9年(1437年)と古く、江戸時代には寺領12石余の御朱印地でした。本尊は愛染明王。寛政年間(1789年〜1801年)の火災により現在の山門1棟を残して建造物は焼失してしまったといいます。境内には西山稲荷祠、六地蔵(元文4年(1739年))や弘法大師像(天保8年(1837年))。高松寺合併について記してある法篋印塔ほうきょういんとう(明治25年)などの石像物が数多くあります。

6 練馬大根碑(春日町4丁目16)

練馬大根碑

 大根といえば練馬、練馬といえば大根といわれる「練馬大根」はその昔、上練馬村の百姓又六が作り始めたといわれています。また、一説には将軍綱吉公が下練馬村に栽培を命じ、旧家大木金兵衛に年々献上させたとも伝えられています。元禄年間(1688年〜1704年)には、練馬の特産物となりました。江戸の発展、さらに東京となって庶民の需要に応えるため大量の大根が栽培され、全国的にその名をうたわれるほどになりました。これを記念して昭和15年(1940年)11月に建てられたのが「練馬大根碑」です。

7 春日神社(春日町3丁目2)

春日神社

 春日神社の創祀年代は不明ですが、文明年間(1469年〜1486年)には練馬城主、豊島泰経としまやすつね泰明やすあきらが一族の守り神として保護し、さらに豊島氏が没落した後は、練馬城主、海老名左近えびなさこんが崇敬するところであったと伝えられています。本殿は春日造りで、右手には昭和32年(1957年)に新築した神楽殿があり、南面には本殿と相対して春日鳥居が建っています。境内には天保7年(1836年)の手水場、文久元年(1861年)の高麗犬を始め、南側の道路わきには、文化元年(1804年)の馬頭観音石塔、享保9年(1724年)の庚申塔などの貴重な石像物がみられます。

8 御嶽神社(高松3丁目19)

御嶽神社

 この社の祭神は国常立尊くにとこたちのみこと大己貴命おおなむちのみこと少彦名尊すくなひこなのみことの三神で、木曽御嶽神社の分霊を勧請したものです。新たな道が開けて木曽御嶽山への登拝が容易になったのは、天明(1781年〜)頃からと言います。その後、江戸を中心に御嶽講をまとめ、信仰を広めたのは一山行者です。その一山行者を講祖に祀る一山社が境内にあります。
 鳥居脇の石仁王二体は宝永3年(1706年)伊賀忍者の頭取服部半蔵はっとりはんぞうが高松寺に寄進したものです。背面に半蔵の銘が見えます。伊賀家は幕末まで、橋戸村(現在の大泉町)を領土としていました。当地は江戸屋敷(四谷伊賀町)と領地橋戸村との街道に位置していました。

9 相原家薬医門(田柄5丁目8)

相原家薬医門

 区内に現存する数少ない「薬医門」の一つです。今では珍しいかやぶきで、切妻破風造きりづまはふづくり、木部全体に紅殻べんがら(当初渋柿)が塗られています。最近、万延元年(1860年)に再建された際の棟札むなふだ(棟上げのとき、建築の年月、建築者などを記入した札)が発見されました。江戸時代、土支田付近は南部藩の所領地であり、相原家は南部藩とかかわりがあったことから、通称「南部の赤門」と呼ばれています。

10 田柄梅林公園(田柄5丁目5)

田柄梅林公園

 光ヶ丘団地の東側に位置しているこの公園は、かつて白加賀という品種の梅の木が栽培されていた畑を区が買収し、整備した公園です。
 早春の頃、いっせいに白梅のかれんな花が咲きます。同じ時期にマンサク、サンシュユ、フクジュソウも満開となり、この公園から春が広がっていく感があります。

散歩道あれこれ

むつみ台団地付近の桜並木(田柄2丁目40)

むつみ台団地付近の桜並木

 むつみ台団地東側の静かな通りは、春になると約30本ほどの桜が道の両側に咲きほこり、桜のトンネルをつくります。ここは地域の人たちのちょっとした花見の名所になっています。

写真:長濱 雄三(※印)

お問い合わせ

都市整備部 都市計画課 土地利用計画担当係  組織詳細へ
電話:03-5984-1544(直通)  ファクス:03-5984-1226
この担当課にメールを送る(新しいウィンドウを開きます)

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